※毒舌あるので注意して読んで下さい。
てか、読まないで下さい(汗)
こんな日に言うのもなんですが、
人はどこまで行っても怒りや憎しみを棄てられない生き物です。
大切なものを守ろうとする思いがすれ違い、
争いや戦争を起こさないではいられない矛盾に満ちた生き物です。
だって大人は皆自分のことが正しいと思ってるから(by ドラえもん)
デモやってる人たちが良い例です。
あれが全てを物語っている。
正規の手続き通りにやってるだけなのに、
ちょっと荒れた採決場面を見せられて、
メディアで「強行採決!」と見出しをつけられるだけで
すぐ影響受けて「あれはアカンやつや!」と思い込めてしまう。
全然「強行」でも何でもないのに、
意味もよく知らずに「民主主義への侮辱だ」「立憲主義の崩壊だ」と騒ぐ。
定義ちゃんと分かってますか?
結構深いっすよ??(汗)
でも、そう思っちゃった時点で、もう引けない。
「戦争反対」「戦争法案撤回しろ」しか言えなくなる。
じゃあどうやって国を守るんですか??
筋肉むきむきのお兄さんとか、
めっちゃ人相悪いお兄さんとか、
絶対銃隠し持ってそうなお兄さんとか、
格闘技に堪能なお兄さんとか、
そういう人たち相手に「争いはやめましょうね」って言いながら
手ぶらで行くんですよね。
私はそれで対等に相手してもらえるとは思わないんですけど、
反対している人たちは「信じれば夢は叶う」と言う。
こっちが戦う気を起こさなければ相手も何もしてこないと思ってしまう。
中国が南シナ海に何か作って、
中東地域からの石油石炭液化天然ガス等のシーレーンが分断、
エネルギー資源が日本に届かなくなって生活が著しく侵害されても、
文句を言ったりアメリカに頼めば誰かが何とかしてくれると思ってしまう。
「遺憾である」と政府が繰り返しても、
たぶんどうにもなりません。
話が通じる相手ではないです、中国はきっと。
ま、それも中国の本当の姿かは分かりませんが。
でもそれなりに中国はロシアやアメリカが
仲良くしておきたいと思えるカードを持ってるから、
対等に張り合えるんです。
韓国が日本を挑発するようなことばっかり発言するのも、
彼らは徴兵制や軍隊を文化として持っているからです。
アメリカはもともと戦争を多くしてきた国だけど、
アメリカ人だって戦争したくない人が兵士として戦ってます。
中には亡くなる方だっています。
戦地から無事に帰ってくれば家族だって涙を流して喜び、
戦地に向かえば心引き裂かれる思いで待つ事になる。
私たちと同じ人間です。
そのことを忘れている。
日米安全保障条約があるから、
日本はアメリカに守ってもらえばいい?
自分たちはゴメンけどやっぱ戦争したくないんで、
戦地には皆さんが行って下さい。
でも危なくなったら守って下さい。
その時は何もお手伝いはできませんが。
だって憲法でそう決まってますし。。。
誰がそんな国民を守りたいと思うんでしょうか。
他人ですよ、アメリカ国民からしたら日本人は。
逆の立場からもっと考える方が私はいいと思うんです。
そもそも安全保障について真摯に受け止め真剣に考えることと、
戦争をするかどうかってことは全く話が別なのに、
思考が停止しているからすぐに直結させて考える。
思考を使えない人たちがデモで身体動かして
「俺たち国のために頑張ってる!」と清々しい気持ちになる。
ま、確かに頑張ってますけども。。。
ただそう言う反面、
こういうデモが起こるっていう国民の政治に対する
本気さってのも大事だとは思います。
おとなしく黙ったまんまじゃ、
それはそれでダメだと思うんです。
が、何をどう言うかです、問題は。
理想を言うのは簡単です。
誰でも言えます。
戦争をなくすことだって簡単でしょう。
傾聴の姿勢と共感を意識するだけで済むからです。
試験で点数を取るのだって簡単です。
どんどん答えを覚えて、
復習がてら解く練習をすればいいだけです。
細かい方法論は二の次で、
要はやるべきことをしっかりやればいいだけですから、
90日で50点伸ばすことだって普通にできます。
言った通りにやってくれれば。
でも、結局は政治も勉強も同じです。
人は自分の信じたいものを信じたいだけなんです。
自分のやりたいようにやりたいだけで、
それが本当の意味で正しいかどうかってことは二の次なんです。
大事なのは自己満足。
例えば私からすれば、
憲法第9条は平和憲法の象徴だとは全く思わないし、
マッカーサーから押し付けられた首輪だとすら思っています。
だから「平和憲法を守ってきた日本人をノーベル平和賞に!」
っていう話題が挙った時は「???」と思ったものでした。
弱くて戦争に混ぜてもらえなかっただけじゃないですか。
戦争に巻き込まれなかった!憲法第9条に守られた!
モノは言いようですね。
あなたは戦えないからお金出してって
言われて済ませてきただけでしょう。
それも確かに平和と言えば平和、でしょうね。
『戦後まもなく新内閣になった頃、
幣原首相がマッカーサーに
「各国が戦争放棄をすれば、平和になるのでしょうね」と発言したとき、
マッカーサーが目を潤ませて両手で握手をしてきた』
という背景をご存知の方は、
この事実をもって「憲法第9条は無理矢理押し付けられたものではない」
と結論付けるかも知れませんし、
それはもう自由です。
歴史認識、いえ、認識の全ては主観的な解釈の世界です。
同じ事実を知っていても、
そこにどんな意味を見いだすかは人それぞれなんです。
人は自分の信じたいように信じたいだけで、
別に論破されることも望まないし、
それ以外の答えを「正しい!」と言われたくもないんです。
テーゼがアンチテーゼと融合し、
アウフヘーベンの結果ジンテーゼに至るという理想的な観念力学は、
お互いが傾聴と共感を意識していること、
そしてお互いの知識レベルが同等であること、
思いが同程度であることなどを前提とします。
逆にそれができれば平和にしかならない。
「へ〜そういう見方もあるんですね〜」でいいじゃん。
それを「あなたは間違ってる!」
「あなたの認識はおかしい!」とやるから喧嘩になる。
たとえ片方が傾聴と共感を示しても、
相手がそうでないのなら、
結局前者も傾聴と共感を活かせない。
そして、ほとんどの人が異論を楽しめないんですね。
私もそう見られているかも知れませんが(汗)
私は結構異論は聞きたい方なんですけど、
前提を満たしてくれる人が思いのほか少ないのが悩みの種です(汗)
でも、私がこうやって沢山の本を読み、
ネットでも情報を集め、考えて発言するのは、
結局は自己満足です。
誰かの考えを正したいという思いでやっても
意味がないのは十分分かっているし、
そんなことをしようものならすぐに喧嘩になるだけです。
だから自分なりの真理を追い求めるだけです。
そして何かしらの機会があって、
私の話を聴きたいという人がいるとか、
教えている生徒への情報提供として活きたらいいなと思うくらいです。
押し付ける気は毛頭ありません。
勝手に勉強しているだけです。
私は本日図書館で戦争当時の広島や長崎、東京の写真を見てきました。
あんなことは二度と繰り返したくないし、
戦争なんて絶対やってはいかんと思います。
何より恐いし。
本当にこんなことが過去に起きたんだなと信じられないほど、
70年前は凄い事が起きていたのです。
あんな悲惨なことになりたくない。
でも、悲惨なことになりたくなければ、
ぶーぶー言ってないで、
自分は自分で準備するしかなくないですか?
戦争はしたくないですよ、誰だって。
でも何かあるリスクは0には絶対ならないわけです。
だったら起きるか起きないかは別にして、
起きても良い準備をしておくべきでしょう。
そしてそれを国レベルで考え決断し行動に移さなければならないのが
安倍晋三首相です。
キリスト教系の大学がこぞって安保法案法制化への反対表明をしてますけど、
ああいうこともすべきじゃない。
そこにいる職員、生徒たち一人ひとりは自分で考えて答えを出すべきだ。
学校長(理事長??)の見解を
学校の総意として表明するのは教育機関の行為として理解できません。
とにかく、めちゃくちゃ長くなりましたが、
戦争はしたくないという思いは強く持ち、
そのために自分のできる限りの努力をしておきたいと思います。
もし最後までお読み下さった方がいらっしゃったら、
本当に嬉しいです。
ありがとうございました。