2014年12月18日木曜日

ブレイクスルー・アカデミ-は3年目に突入しました!

皆さまのおかげをもちまして、
当アカデミーは無事3年目に突入致しました。
本日が正に開校記念日ということになります。


その一方で、
私個人としてはまだまだ
この記念日を祝う気にはなりません。


このブレイクスルー・アカデミーが
2年間でやってきたことが
一体どれだけ熊本のため、
日本のためになっているだろうかと
実感を持てずにいるからです。


1995年に東京都知事選で
大前研一氏がタレントの青島幸男氏に敗れた時の、
そして今年先日の大阪都構想選挙で
橋下徹氏が反対多数で敗れた時の、
その時のような心境で迎えることになりました。


そして、この2年間の運営もまた、
自分一人の力で成し遂げたとは
とても言えない状況ですし、
実は色々なことが半端なままの
ブレイクスルー・アカデミーです。


そこで今の私は原点に立ち返り、
時期を選ばず先日より
模索の時期に入っています。


このままのことを続けていても
何の意味もないことは明白です。
今自分は変わらねばならないし、
ここで変われなければ死ぬ方がマシだ、
と感じています。


少し重たい表現となりましたが、
でも決して大げさではなく、
このブレイクスルー・アカデミーが
この世界に存在する意義を
打ち立てねばならないと考えています。


なので、今回の開校記念日は
正直さなぎの状態で迎えました。


このままさなぎのままで死ぬか、
さなぎから見事蝶となって世に羽ばたけるか。
ある意味で重要な節目にあります。


いつまでも皆さまに支えられるわけにはいきません。
そして、いつまでも”その他大勢”であるわけにはいきません。


今正に、当校名の通り、
ブレイクスルーすることが求められているのです。


この世界を変える。
この日本を救う。
この熊本から巣立つ若者に
将来を牽引し得る素晴らしい力を
身に付けてもらう。


自分を見失うことなく、
理想を見失うことなく、
この運命の3年目を
見事ブレイクスルー元年にすべく
今後もこれまで以上に邁進してまいりますので、
是非今後とも
よろしくお願い致します。


2014年12月17日水曜日

ないはずのものに気付くには

今回はかなり重要な話をします。
今の状態から劇的に
チャンスの幅を広げるための話です。


それは

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

セレンディピティ

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

という能力。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

セレンディピティとは
何でもないようなものからでも
自分にとって重要な何かに
気付けること、
もしくはその能力のことを指します。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


つまり、何でもないところから
自分にとってのチャンスを生みだす力
ということになります。


「何でもないところ」と言うと
無から有を生み出すような印象を
与えてしまうかも知れませんが、
少しニュアンスが違います。


例えば、果物を手で掴んで
ギュッとすると、
果肉が潰れて果汁が垂れてきますよね。
あんな感じです。


チャンスに関するパーツが
現象の中に散らばっているような
そんな感じです。


なので一見チャンスのような姿形がなく
なにも意識しなければ単なる「それ」、
つまり単なる起こった現象として
記憶の片隅に追いやられ
近いうちに消えてしまうものになってしまいます。


別の例で言えば、
霊感のある人が「あ、そこに女の人がいる」と
認識できるようなものです。
あんまりいい例ではないですね(汗)
でも、意識して見る人にしか見えないという意味では
当たらずとも遠からずかと。


とすると、セレンディピティとは
意識的にせよ無意識的にせよ
そこにハッキリ存在していないはずの
自分にとっての重要な気付きを
抽出できる能力だと
言い換えることができます。


するとさらに踏み込んで言えば、
チャンスとは
向こうからやってくるものではないということ。


「来ないな~来ないな~」と待っていても
実はチャンスが来ても気付けません。
チャンスは自分で見つけようとして
初めて引き寄せられてくるものなのです。


なかなか成績が伸びないな~
どうしたら点数を伸ばすことができるかな~
こういう風にずっと考えて下さい。
そしてその答えを自分なりに
模索して下さい。
考えることなく無思考的に勉強しても
努力がなかなか成績に反映されません。
考えることをやめれば
絶対に成績は伸びてくれないのです。
まずは考えることから始めましょう。

2014年12月13日土曜日

不安、恐怖、悩みは消せるか

勉強をしていると
不安や悩みはつきものです。


合格するだろうか、
今度のテストで成績は伸びるだろうか、
頑張っているのに成果が出ない、
勉強しないといけないって分かっているのに
なかなか手がつかない。。。。
色々なことを考えてしまいます。


このことに関して、
脳機能学の権威である苫米地英人氏は
次のようにおっしゃっています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

不安とか悩みとかは
存在しないんだぜ

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ここだけ聞くと「は?」って感じです。
この部分を紐解いていきましょう。


脳機能をベースに考えると
不安とか悩み、鬱もそうなのですが、
ないはずのものらしいのです。
だから、彼は相談を受けるとまず、

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

不安が嫌なら、
不安になるのをやめればいいじゃん

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

と伝えるのだそうです。


ないはずのものを気にするから
いつまで経っても解決しないのであって、
気にすることをやめてしまえば
何をすべきかはもっと見えるはずだ、
ということです。


そもそも不安や悩みや恐怖といったものは
そういったものが物理的に存在するわけではなく、
副次的に生じた“現象”に付けられた名前です。


具体的に説明すれば
記憶の取捨選択を司る海馬という部位と
情動を司る扁桃体という部位の
情報伝達の過程で生じる副次的な現象のうち
ネガティブなもののことを漠然と
不安とか悩みとか恐怖と
呼んでいるということです。


つまり、不安というものがあるのではなくて、
不安を引き起こす原因があって
それにくっついて出てくるもの
ということになります。


ということは、
不安や悩みや恐怖というものは、
それを引き起こしている根本的な原因を
取り除く事で
消す事ができるということが分かります。


これは同時に
「くよくよしても仕方がない」
ということを意味します。


とは言っても情動ですから
完全にコントロールすることは
正直難しいと思います。


ただ、理論的にでも
不安や悩みや恐怖が生じる
プロセスを知っておく事で
今までよりも気にせずに済みますし、
何より立ち直りやすくなります。


かく言う私も結構ビビりですし、
不安も常に抱えて、
何かあるとすぐ情動が揺れ動いてしまう方ですが、
このシステムを理解してからは
数分で平常のテンションに
戻せるようになりました。


一番避けたいのは
不安や悩みや恐怖を
抱え続けることです。
いつしか気持ちが萎えて
気力を失ってしまいます。


でもこのことを知った今日からは、
くよくよするのは時間の無駄で、
根本原因を解決するしかないのだ、
と思考を切り替えることで
すぐに断ち切れるようになるでしょう。


嫌な気持ちはサクサク切り捨てて、
よい気持ちだけを大切にしたいものです。

2014年12月10日水曜日

予習をする意味を分かっていますか??

昨日テレビで『Another Sky』観ました。
ゲストはMay.Jさん。


彼女の話の中で刺さったのは
ボーカルスクール(ダンススクール?)の
先生に言われた言葉です。


「あなたは何をしにここに来ているの?」
と聞かれた彼女は
「学びに来ています」
と答えたのだそうですが、
そこで先生にこう言われたのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

でも、あなたからは
これが学びたい!っていう
意欲を感じられない

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


この言葉を聞いたときに、
私には「予習」という言葉が浮かびました。
もはや職業病!?


しかし、多くの方が
予習が何たるかが分かっていません。
これは学校の先生にも言えることです。


生徒たちの宿題を見ていると、
解いてきなさいって宿題が多い。
これが復習範囲なら分かりますが、
授業で当てられて答えなきゃならない。
つまりは予習扱いです。


熊本の高校では課外という枠があって
通常の授業以外に講習があります。
そこでも予習と称する
「解いてこい」宿題が出るのです。


この宿題の出し方をする先生は
正直超馬鹿たれとしか言いようがありません。
本来の予習とはかけ離れているからです。


予習とは

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

自分が学ぶべき事を
明確にしていく作業

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

を意味します。
別に予習の段階で理解までする必要はなくて、
単に

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

自分はどこが分からないのだろう?

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ということをハッキリさせればいいのです。
だから本来予習は5〜10分で
終わるべきものなのです。


しかし、実際に出される宿題は
不毛なもののオンパレードです。


これらが全て先生個人のせいなのかは
分かりません。
上からの命令で
こういう宿題にせざるを得ないのか、
個人的な判断で下せる裁量範囲内でも
これが精一杯なのか分かりません。


ただ、宿題の出し方が
予習と呼ぶものに関して見れば
明らかに間違っているのです。


もし予習で全部解けたなら、
その子は授業を無視しても
構わないという措置があるなら
それも意味があるかも知れませんが、
自分の話を聞かないとダメ!
という我がまま教師に捕まると
生徒にとっては最悪です。
人生を浪費させられるからです。


予習は本来解いていく時間ではありません。
解くのは「復習」のタイミングです。
この順番を意識するだけで、
結構時間の使い方を
効率化させることができますので、
是非心に留めておいて下さい。

2014年12月8日月曜日

英語の難しさはどこにあるのか

今回は英語の勉強について考えてみましょう。


人間の頭の中には
実はいろいろな回路が存在しています。
感情回路や思考回路、
日本語の回路に英語の回路などです。


英語の回路を新たに構築するのが
英語の勉強の本来の目的です。


しかし、もともとネイティブとして
日本語という言語回路を持っているので、
そこに新たに別の言語回路を
増設するのは至難の業です。


ではどうすれば
より効率的に英語回路を
増設することができるのか。


それには

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

英語は英語だけで勉強する

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

のが良いということが分かります。


だから1年間留学すると
誰でもしゃべれるようになると
言われるのですね。
なんせ現地では全てが英語ですから。


すると、裏を返せば、
日本での英語学習が非効率なのは
日本語で英語を勉強するから
なのです。


そもそも日本語とは論理性を欠いた
曖昧な構造をしています。
阿吽の呼吸といった言葉からも
分かる通り、
相手の理解や読解に頼っている部分があり、
多少不正確でも
相手が修正を加えて受け取ってくれます。


一方英語はガチガチの論理です。
これは昔から他国から占領されたりする中で
言葉の誤解で殺されてしまうような
ギリギリの状況を経験してきたことに
端を発しています。
相手から誤解を全く受けずに済むよう、
文法構造をしっかり固めて
多くのルールで言語を縛る事で
自分たちの命を守った
ということです。


このように成立背景も
言語体系も全く異なる言語同士を
和文英訳、英文和訳といった具合に
1対1につなげようとすることに
最初から無理があったわけです。


例えば、日本語で
「中途半端」という言葉があります。
これを訳せと言われたら、
あなたはどう訳しますか?


実はこれは非常に難解です。
というか回答不能です。
なぜなら英語では
「何が中途半端なのか」という点が
重要だからです。


時期が中途半端なのか、
能力が中途半端なのか、
努力が中途半端なのか、
道のり的に中途半端なのか、
とにかく「何が?」が大事なのです。


よく英語の単語テストで
英単語と日本語を対で出題するものが
あるかと思います。


実はああいう単語テストが
最も英語学習において
英語習得を阻害するものだったりするのです。


英単語は文章の中にあって初めて
文型を持ち意味を確定させます。
単発で切り取って持ってきても
意味を与える事ができないのです。


曖昧な日本語の構造と
超ガチガチの論理構造である英語を
つなげようという発想。
これこそが英語の勉強を
非効率なものにしてしまう原因でした。


ここからあなたは英語の勉強を
どう切り替えたら良いと思いますか?

2014年11月24日月曜日

成績が伸びる覚悟はあるか

少しおかしな題名です。
成績が伸びるのに覚悟が要るの?
と思われるかも知れません。


確かに、成績を“伸ばす”のには
覚悟が必要です。
半端な気持ちで勉強しても
単なる時間潰しにしかなりません。


しかし、成績が伸びること自体に
覚悟が必要なのです。


これは「成功への恐れ」という感情です。


人は現状維持を求めてしまいます。
それは脳機能的にそうなのです。
今の変わらないことが一番。
良く変わろうが悪く変わろうが
変わること自体が恐怖なのです。


ですから、実は成功したいと口で言っていても、
内心は成功してしまうことに
躊躇している自分がいるはずです。
それも「ああ、もうこうすれば成績伸びるわ」
と道が見えたときほどそうなります。


それはなぜかというと、
成績が伸びると確信を持てた瞬間に、
現状がガラッと変わる事も
同時に認識してしまうからなのです。


ですから、お子様方のやる気がないと
保護者の方がお嘆きならば、
それはお子様が変化を避けているからであって、
それは実は人間として普通の反応なのです。


もしお子様に、それでも勉強させたい、
成績を伸ばしてほしいと思ったら、

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「変化」の重要性を認識させる必要があります。
そして
「変化した自分」をイメージさせるのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


漠然と「勉強頑張れ、勉強頑張れ」と煽っても、
当の本人は勉強する必要性も感じてなければ、
欲しい成果のイメージもないので、
頑張り方を模索しようがありません。
「何をどうしていいか分からない」と言うのは
このためです。


そこで、勉強に取りかかりやすくするために

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

①勉強する必要性
②勉強した結果得られるメリット(イメージ)

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

の2点を明確に認識させることが不可欠です。


できれば、①は②に直結していた方がいいでしょう。
勉強を頑張ることで確実に欲しい未来が手に入るなら、
誰もが勉強に意味を見いだすことができます。
「欲しい未来」が職業的なものでなくても良いのです。
明るい未来、楽しい未来、わくわくする未来など
具体的でなければいけませんが、
それはトータルで日常がそうであればイイ。
職業が○○でなければならないなど、
そういうことはないのです。
将来のイメージにプロセスは関係ないのです。


要はそういう未来にたどり着こうという時に
果たして勉強せずに頭の悪い状態のままで
良いのだろうか?
という問題意識を本人に持たせればいい。


こうすることで、
成績が伸びてしまうことへの恐怖や不安を払拭し、
むしろ成績が伸びることが
自分の欲しい未来に繋がっていると実感することが
できるようになるのです。


今お子様に「覚悟」はおありですか?

2014年11月23日日曜日

平等と公平

先日、生徒の通う学校では
30度を越えないとクーラーが点かない
という話を聞きました。
「うわ〜それはキツいね〜」
と思った後にこんな提案をしました。


それってパーソナル扇風機とか
持ってっちゃダメかねぇ。
電池で動くタイプのやつだったら
電気代を自分で負担するんだから
良さそうだけどなぁ、と。


勿論、音の問題もありますし、
それこそ家庭の状況で
持ってきたくても持っていけない
という人も出てくるでしょうから
教育上難しいのかも知れませんが、
別にそこまでおかしい提案では
ないのではないでしょうか。


少なくても体を壊すよりマシですし、
むしろ30度までの間にある時は
とても勉強する環境ではないでしょう。
学校という教育機関にあっては
本末転倒な状態にあります。


そこで話を戻すと、
そういう風にすれば
平等な扱いなんじゃないかと
私は思ったのですが、
そこである医学部のアルバイトさんが
「それはたぶん“公平”の方が
 適した言い方かと思います」
と指摘してくれました。


おー、そういえばそうか、と。


ちょっとニュアンスの違いが難しいですが、
この「平等」と「公平」とは
認識の上でしっかり分けて捉えておく方が
良いでしょう。


例えば、学校で行われている勉強のやらせ方は
平等なものです。
同じテキスト、同じ授業、同じカリキュラム。
全ての生徒に同じ環境を提供し、
同じ対応を心がけているので
確かに平等です。


しかし、教育的に言えば、
子どもたちの勉強に関して必要なのは
平等な環境ではなく「公平」な機会です。


それは、次のテストで英語の点数を伸ばしたい生徒は
英語に比重を置いた勉強を、
志望校が難関大なら、
センターよりも二次試験に向けた
対策メインの勉強をさせてあげられることが
公平性を確保された学習機会と言えます。


勿論、時間の配分だけでなく、
使うテキストから勉強する場所、
受ける授業の取捨選択まで
自分の欲しい成果に合わせて
自身でセレクトできるのが
最も求められる状況ではないでしょうか。


先生はそのバランスを観察し、
アドバイスするアドバイザーです。
もう上から目線でものを教える
「先生」というフレーズも
手放す時期なのかも知れません。


今文部科学省はじめ日本全体が
平等な教育機会とか、
教育の機会均等などと訴えていますが、
違います。
必要なのは「公平性」です。
それができないから
無意味な勉強に終始し、
世の中も知らないまま
英数国社理の知識だけが豊富な
昔のコンピュータみたいな
人間が育つのです。


学校で習っていることなんて、
もうスマホやタブレットで
すぐに検索して終わりです。


先日冨山和彦氏のL型大学G型大学の提唱で
賛否両論を繰り広げたという話題がありましたが、
もう横並び教育をやめて
現状に照らして抜本的に改革せねば
本当にヤバい状況にあると
認識すべきなのです。


いつまでも旧態依然とした
知識偏重、学歴重視の勉強などしていないで、
もっと本質に基づいた、
もっと人生を有意義に過ごすにはという
重大な大目的のための勉強に
意識をシフトするべき時期なのです。
それも、日本の教育界が迷走している今
自分個人で考え独自の道を
歩んでいかねばなりません。


勉強の仕組みそのものは
すぐに変わるものではないでしょう。
だからこそ、同じことをさせられるなら、
意識だけでも変えて
より自分の10年後に活きるカタチで
勉強に取り組まねばならないのです。


知識なんて何の意味もありません。
これは生徒たちにいつも言っています。
今は知識をどう効率的に取り込み、
その知識をどう活用できるか
というもう一歩上の発想が
求められています。


これを構造的にどう教えていくか、
という教育改革の仕組み作りに
文部科学省は四苦八苦しているのです。
これが早くて2020年施行。


しかし、この新しい教育システムが
本当の意味で落ち着きを見せるには
さらに10年〜20年かかると見られています。


そんなに待てますか?
もうその頃には今の子どもたちは
いい歳になっています。
大人になってから後悔させますか?
あの時もっと考えておくべきだった!
もうそのときには遅いのです。


不安にさせてすみません。
でも、重要な問題です。
時代はどんどん変わっていくのに、
ずっと変わらないのが日本の教育です。
何も考えずにぼーっとしてれば、
そのままみんな一緒にトロッコに乗って、
先のない古びた線路を
落ちるまで走り続けることになります。
その前に、
トロッコから降りて
自分の足で歩く勇気と覚悟を持って下さい、
持たせて下さい。


平等と公平の違い、
是非ご記憶下さいますよう。

2014年11月22日土曜日

どんな努力が報われる??

昨日テレビで『世界72億人まとめTV』という
番組がやっていました。
私は一部しか観ていないのですが、
それはギリシャはヒオス島で行われる
ロケット花火戦争という祭りでした。


このお祭りはギリシャにおける
イースター(復活祭)を祝う伝統行事だそうで、
二手に分かれて協会の鐘に向かい
何万発ものロケット花火を打ち合うという
ものすごい迫力のお祭りです。


昨日は12万発を撃ちまくっていました。


さて、撮影に向かったのは
南海キャンディーズのしずちゃんと
なかやまきんに君の二人です。
防護服と防護盾を装備して
文字通り体当たり撮影。
花火の降り注ぐ現地に降り立ち
最終的には一番危ない場所での
強行撮影となったのです。


それでもかなり迫力ある映像が
撮れたのですが、
どうも何かが足りない。


そこで登場したのがチュートリアルの徳井さん。
なんと(というか、やはり)ドローンでの
撮影をこっそり行っていたのです。


上空からの撃ち合いの光景は
幻想的なものでした。
クラシックのBGMまで添えられて、
明らかに皆から「おおお〜」という
評価を受けていました。


さて、ここで気分が悪いのはしずちゃん。
自分たちは体当たり作戦で
必死に映像を撮ってきたのに、
現地に行かずにドローンを飛ばしてもらい
撮ってきた映像が
しれっと評価されて
二人の立場がないと言うのです。


しかし勝敗は明白でした。


職業病かも知れませんが、
この番組のこの部分を観たとき、
努力とは何ぞやみたいなことが
頭を横切ったわけです。


つまり、どんなに必死になって取り組もうが、
どんなに決死の体当たり作戦をしようが、
周囲に評価されなければ
終わりなのです。


どんなに努力をしなかろうが、
どんなに他力本願なやり方をしようが、
評価される映像を用意できれば
彼の勝ちなのです。


今回の場合は目的が
「迫力ある映像を撮ってこい」という指令だったようで、
確かに陸上撮影でも
十分迫力はあったのですが、
今回は上空から攻めた徳井さんに
軍配が上がりました。


もし目的が別にあって、
「陸上でのド迫力映像を撮ってこい」という指令だったら、
ドローンは使えませんから
しずちゃん達の勝ちなのです。


重要なのは

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

①誰に向けた何の努力か
②その人は何を求めているか

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

を明確に意識して準備をすること。
まずは色々仮説を立てて、
何にフォーカスした映像にするのか、
どんな手段が考えられるのか、
多方面からのアプローチを
想定すると発想が広がりやすくなります。


あとは並んだ選択肢から
実現可能生の低いものから
削っていけばいい。


努力というテーマは色んな議論を呼びますが、
成果を出してなんぼだと思っています。
私の日頃の仕事もそうです。
どんだけ頑張っているかなんて
そんなことは何の関係もありません。
成果が出せるかどうかです。


ちょっと厳しい話をしましたが、
当ブレイクスルー・アカデミーでは
その努力の精度を上げるアドバイスを
日頃の指導に盛り込んでいます。


「求めよ、さらば与えられん」の精神なので、
聞いてくる生徒にしか伝えられませんが、
それでも単なる知識の習得に
終始させない意識で取り組んでいます。


今の勉強なんて、
日本に受験制度があるから
やらざるを得ない面倒くさい作業です。


だったらそんなものはさっさと済ませて、
もっと有意義なことに時間を使った方がいい。
だから当アカデミーでは「超効率主義」を
謳っているのです。


お子様の努力が実りあるものになることを
願ってやみません。

2014年11月19日水曜日

学人(まなびと)

あらゆる学問をこなす人、
様々なことを学ぶ人のことを
学人(まなびと)と呼んでいます。


一方で思うのは、
私の見解で言えば、
勉強しているほとんどの人が
学人になれていません。


「学び」とは一体何なのでしょうか。


例えば、私は最近オフィスの模様替えで
オフィス家具の入れ替えをしています。
生徒たちが来るたびに
初めましての家具が搬入されているのです。


しかし、ここで二通りの生徒がいます。
模様替えされた状況や
新しく入ってきた家具に興味を示して
「おお、この机オシャレですね」
とか言ってくれたりする生徒さんと、
全く反応しないで
「ああ、、、」くらいのリアクションで
そのまま黙々と勉強する生徒さんです。


この二通りのうち、
後者の生徒さんというのは
正直伸びないタイプです。


ものごとに関心がないため、
おそらく勉強自体にも関心が薄く、
ただただ黙々と無関心に
勉強しているのだと思います。
こういう子には勢いもありません。


一方で、家具に食いつき
感想を言ってきてくれるような子は
知識吸収率が高い傾向にあります。
各教科のテーマに興味を持ち、
へ〜とか言いながら勉強したりします。


何かを記憶することの根本原理は
興味・関心です。
これらがない人は人としての面白みもありませんが、
勉強すること自体にも
機械のように取り組むものです。
そして文字通り知識を詰め込む。


勉強を機械のようにしてしまう人は、
英語の文章を読んでも
単語や文法ばかりが気になり、
一方学人はその書かれた内容に
興味を抱くような感覚を持っています。
内容をもっと正確に読みたいから
単語や文法を調べようというものです。


そうです。
この両者は視点のつけどころだけでなく、
思考の順番も因果が逆なのです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

単語・文法を駆使して
文章を読解しなくちゃ、
ではなく、
この話の内容をもっと知りたいから
単語・文法を勉強しなきゃ、
なのです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


このように、学人マインドを持たないと、
本当に知識だけの習得で止まってしまいます。
知識止まりの勉強ならば
やらない方がマシです。
それは点数を伸ばしたり成績をちょっと上げる
ことくらいにしか役立ちません。
記憶定着率も悪く勉強全体で効率が
非常に悪くなるのです。
その上時間が経てば知識は消えます。
後に何も残らないわけです。


もっと言えば、
「うちの子はやる気がない」と嘆く保護者の方がいますが、
やる気がないこと自体は問題ありません。
ただ、やる気を出す気もないのは問題です。


やる気は2種類あって、
そのうちの内面的動機付によるアゲアゲ状態は
学人マインドにつながる重要な要素です。
これは意図的に形成することも可能です。


勿論、意図的に内面的動機付を引き出すのですから
時間はある程度かかります。
だいたい2週間〜3週間ほどです。


しかし、ここで時間をかけてでも
自分のマインドを切り替えておく方が
絶対に効率的です。
やる気は意図的に引き出せるものなわけです。


しかし、ここまでやってもなお、
やる気の出し方を知りたいという方は多くありません。
やる気がない上にやる気の出し方にも興味がないなら、
残念ながら救えません。
そしてそういう人はどんなに頑張っても
学人に勝つことはできないのです。


勉強を勉強のままでやり続けるのか、
勉強を学びに変えるのかは
あなた(あなたのお子様)次第です。

「自信を持て」をやめなさい

今回お話するのは
私の信奉する脳機能学者
苫米地英人さんの著作から得た発想を
基にしています。


よく「自信を持ちなさい」という言葉を
使いますよね。
スポーツにしても勉強にしても
何かしらの挑戦において
励ます意味での常套句のようなものです。


しかし、私は以前も申し上げた通り、
「信じる」という言葉が好きではありません。
それは多少の疑いが含まれているからです。


自分を信じることと、
自信を持つことも
私的にはニュアンスが違うフレーズです。


では、そもそも「自信を持つ」とは
どういうことなのでしょうか。


私たちの日本語というのは
とかく曖昧です。
分かった気になっていますが、
実際実は分かっていませんでした、
というパターンも非常に多くなる言語です。


「自信を持つ」と一言で言っても、
一体何に自信を持っているのでしょうか。


自分にでしょ?
と思っている方が多いのではないかと思うのですが、
要するに、自分の「何」に自信を持つのか、
自信の根拠をどこに置くのかということです。


自信を持つ根拠になるものとしては
大きく分けて2種類あります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
①自分の過去の実績
②自分の可能性
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


もし「今までもできたのだから今回もできるよ!」
「練習でできたんだから、本番だってできるさ!」
という自信の持ち方ならば、
それは過去の実績を根拠にしているということです。
①ですね。


しかし、考えてみるとおかしな話で、
「過去にできた」ということと、
「今回できる」ということとの間には
因果関係がないのです。
それぞれが独立した単独事象であって、
確かに相関関係はあるかも知れませんが、
事実直結した要素は何一つありません。


つまり、苫米地さんが言うには、
過去にできたにせよできなかったにせよ、
それを根拠に「今回もできる」と考えるのは
論理的におかしいというのです。


また、過去の延長線上に自分を置いて
捉えている時点で、
ブレイクスルーができにくい状況に
自分を置いてしまっていると言います。


そこで、自信の持ち方を②にすると
どうなるでしょうか。


過去の実績が全くない人が
「俺は絶対東大行くぜ!」
「私は次のテストで90点目指すわ!」
と息巻いたら、
おそらく信じてもらえないでしょう。
「根拠のない自信」だと揶揄されるわけです。


これは「自信を持つ」とは
異質なこととして扱われる傾向にあります。
自信を持つのは良いが、
根拠のある自信を示せというわけですね。


しかし、先ほど述べた通り、
過去の実績自体は自信の根拠としては
あまりに希薄です。
根拠足り得ません。
そして、そのことを内心分かっているから、
自信を持とうとしても揺らぐのです。


こうして考えて行くと、
実は自信を持つことは
理論上成り立たないことになってしまいます。


そこで苫米地さんは何を提案しているかというと、
「自信を持つ」をやめて
エフィカシーを上げることを考えて下さい、
と言っているわけです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エフィカシー。
自己の目標達成能力における評価です。
要するに、
自分はその目標を達成できるだけの
能力を十分に持っている、
という認識のことです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


これは先ほどの②、
根拠のない自信に相当するものです。
そもそも根拠のある自信など
論理的に成立しないものなので、
②しかできないというわけです。


そしてそれは、自信を持つことは違い、
エフィカシーを上げること、
自己の能力(可能性)への高い評価を持つことです。


このように、「自信を持て」という
中身があって無いようなフレーズを使うのを
そろそろやめて、
自己評価を高める意識作りを
これからしていくのはいかがでしょうか?


一回一回がぶっつけ本番。
頼れるのは過去ではなく今の自分。
時間軸に囚われない「自分」への評価で
是非素晴らしい成果を残して行って下さい。

2014年11月12日水曜日

この失敗は母になるか

今日私は大きな失敗をしました。
この2週間以上の努力が
一気に吹き飛びました。
全てがパーです。
おかげで今日は何も手に付きません。


うそです。
こうしてFBに投稿していますし、
仕事もあるので気は抜けません。


ただ、本当にさきほどまで
ショックがでかすぎて塞ぎ込んでいました。


失敗は、その程度が大きいほど
ものすごく辛い経験になります。
今回の失敗は私にとって
トラウマに残りそうなほど
本当に心をえぐり、
精神をへし折りました。


でも、それでも戦わなねばならないのです。
立ち止まれません。
戦わねば勝てない。
勝てなければ死ぬだけです。
by ミカサ『進撃の巨人』です。


人は自分の心に保険をかけます。
何か大きな失敗をしても
致命傷に至らないように、
傷つかないように
どこかでブレーキをかけながら
アクセルを踏んでいるのです。


しかし、保険は精神的なリスクヘッジだとしても、
失敗したときのことを考えている間は
100%の力は出し切れません。


保険をかけることの心理は、
本気で、全力で、全身全霊で取り組んだとき、
もしそれで失敗したら
もう立ち直れないほどのショックを
受けてしまうかもしれない恐れ故です。
再起不能だけは避けたい。
それは誰もが思って当然です。


ただ、それでは本気で戦えません。
それが精神的保険をかけることの
デメリットです。


なので今回の私は
ミカサのセリフを毎日つぶやきながら、
仮に失敗してもその結果を
五臓六腑で受け止めきる!
という思いで取り組みました。


が、結果失敗。
本当に全てが嫌になるほどのショックでした。
心臓がズキズキと痛み、
脳の血管がプチプチ切れている、
そんな感覚です。
まだそんな感じが続いています。
もう引きこもりたい。。。


でも諦めたくないのです。
諦めるわけにはいきません。
どんなに苦しくても、
どんなに堪え難い苦痛を受け続けても、
どんなに現実に受け入れてもらえなくても、
戦うことをやめたらアウトなのです。


「失敗は成功の母」という言葉があります。
トーマス・エジソンの言葉として有名ですが、
彼は他にも多くの名言を残しています。


ただ、今回私が言いたいのは、
エジソンの名言が云々ではありません。
それだけエジソンが失敗と向き合い
最後まで諦めなかったプロセス(人生)が
それらの名言を生み出したという
背景の存在です。


彼は電球を生み出すまでに
10000回の失敗をしたと言います。
彼にとっては「失敗」ではなく
単なる「経験」だというのですが、
内心本当にそうだったかは
分かりません。
エフィカシーを高める術を持っていたけど
内心不安で不安で仕方なかったことも
あるのではないでしょうか。


なんせ本当に電球に適した物質が
存在するのかどうかすら
保証されていないのですから。
100回の失敗でも萎えそうです。


最終的には
人間は情報処理システムなので、
解釈の問題に帰着します。
それを失敗ではなく前進と定義できれば
ストレスを溜めていかずに
済むかも知れません。


でも如何せん、
私の場合はまだ感情が追いつきません。
失敗するたびにバクバクしてしまいます。
また失敗したらどうしようと
どうしても不安を思い
ビビってしまうのです。


きっと受験生も同じように
不安な思いを抱えている人も
いることと思います。
だからこそ今日、
私の醜態をさらしました。


私と違い、受験は1年に一度。
泣いても笑っても
チャンスはその1度きりです。
でも、そのチャンスを手にするには
リスクに対して保険をかけている場合ではない。
悔いを残して言い訳で逃げるような結果のために
中途半端な努力をするなんて
馬鹿げています。


本気で、全力で、全身全霊で
取り組んで戦って下さい。
失敗はめちゃくちゃ恐いですし
不安です。
それでも、不合格の可能性を
今は忘れて下さい。
結果は出てから考えればいい。
目の前の1日1日を
MAX活用するしか
私たちにできることはありません。
努力は今この瞬間しかできないのです。


「失敗は成功の母」とは
本気で取り組み失敗した者にしか
適用されません。
保険をかけて戦っても、
その失敗は成功を生んではくれないでしょう。
失敗は、本気でなければ活きません。


失敗を母にするには、
覚悟を決めねばなりません。
強烈なショックを受け入れる覚悟を。
ビビってても構いません。
覚悟さえあれば。


勝ちましょう。
戦って勝ちましょう。
まだ生きている。
まだ私たちには時間があるのですから。

2014年11月11日火曜日

学校制度崩壊の序曲か

※毒舌注意

「フリースクールなど義務教育に」訴え
(NHKニュースwebより)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150617/k10010117111000.html

学校以外も義務教育と見なせるようにするか否かの
重要な議論が行われています。
これはものすごく意義深いものだと思います。


学校という組織のあり方自体が
とっくに限界を来しているのは、
以前から申し上げている通りです。
学校に行かなければ学べないことなど
実は何もありません。


よくコミュニケーション能力や
社会性をもって
学校の必要性を叫ぶ方もいますが、
学校にしか人がいないという
前提のように聞こえてしまいます。
そんなはずはない。
そんなものはどこでも学べます。


むしろ、学校という閉鎖された
特異な環境の中で
何年も過ごすことで
コミュニケーション能力や
社会性が偏ったものとして
定着してしまう方が問題です。


日頃生徒達に指導する中でも
学校が子どもたちに与えている影響が
特に良いものばかりとは限らず、
むしろ学校さえなければ
もっといい子になれるのに
もどかしい思いこそあります。


学校が今社会に果たしている役割は
一体何なのでしょうか。
もし義務教育と言うのなら、
そこには責任が伴うわけですが、
学校という教育機関が
一体何の責任を果たしているのでしょうか。


生徒を型にはめて、
規則で縛り付けて、
人生の意義を教えることよりも
知識の詰め込みの場と化し、
小中高大というレールの上の世界しか知らない
視野も経験も狭い教師に教わり、
勉強も社会性も中途半端で
将来への目的も目標も持てないまま
時間だけを浪費させるような学校が
多いと思うのです。


そんな世界が嫌でなじめない子を
「不登校」という言葉で問題児扱いし、
授業についていけない子を「落ちこぼれ」、
授業が簡単すぎて退屈する子を「吹きこぼれ」と称し、
学校中心の発想によって
いかにも彼らが悪いように言う世の中です。


日本の教育が内包するあらゆる問題を
彼らに押し付けているようで
なんだか気持ちが悪い感じがします。


先日ブログでご紹介したドイツの教育システム、
マイスター制度とデュアルシステムや、
アメリカでなじみのあるホームティーチャー制度などを
併用させるカタチで
もっと子どもたち本来の能力を
失わせない仕組みを確立するべきでしょう。


L型G型大学の構想もありましたが、
大学から分けても遅いと思います。


それから、日本が義務教育という発想自体残すなら、
どんな能力をどの水準まで子どもたちに習得させるのか、
そのラインを決めておくべきでしょう。


フリースクールもインターナショナルスクールも
あらゆる組織がありますが、
どこも良い環境ばかりではないはずです。
自宅で学習させるホームティーチャーにしても、
勉強以外の要素も含めて
義務教育を完了したことを何をもって判断するのか。


今ではパソコン一つでお金を稼げてしまう時代です。
コミュニケーション能力が本当に必須か
と言われるとそうでもありません。
勿論あるにこしたことはありませんが、
黙々と何かに取り組むことが得意
という子がいてもいい。
作品で何かを語りかける、
作品で人を感動させる人もいるでしょう。
音楽で人を幸せにできる人だっている。


だからこそ、そういった多様な社会で、
一体日本の教育を通して
どんな子どもたちに育ってほしいのか。
そこが全く不明瞭なのです。


教育基本法も立派なことは書いてあれど
単なる抽象論であって
全く実現性がない理想論です。
結局全部欲しいと言っているだけ。


トレンドに乗っかって
ミーハー的に英語教育に力を入れてみたり
プログラミング教育に力を入れてみたり
全く将来ビジョンがありません。
見境がない。


そこにあって今回の義務教育に関する
規制撤廃の可能性は
わずかな希望の光になるかも知れません。
おそらく学習塾業界でも
この流れを見据えて
勉強に特化した義務教育の場を売り出すでしょう。


しかし、一方で、
このような規制撤廃の裏には
必ず自由競争が待っています。
何も考えずに時間を過ごせば
社会に飛び立つ際に
もはや埋めきれない力の差ができている
なんてことも考えられます。


それに、学校の義務教育化がゆるめば、
逆に学校の権威が上昇する可能性もあります。
学校という教育機関が洗練されれば
今まで以上に目的化された環境になるはずです。
価値観がガラッと変わるでしょう。


とにかく、教育改革の流れの中で
今いろいろな変革が同時並行で議論され
動いています。
大事なのは、表面的な変更に流されることなく、
その先に何が待つのかを凝視することです。


全てを把握しきれる人はいません。
でも、自由とは厳しい世界です。
「考える力」が必要です。


今回の話は、決して弱者救済の流れではありません。
決して不登校の子たちが救われる、
学校以外の場で頑張る子たちが報われる
という話ではないのです。
「選択肢を拡げてあげるから、あとは自分で考えて行動してね」
というある種厳しい選択権の譲渡です。
義務教育の「義務」を国だけが持つあり方から、
教育を受けさせる義務を持つ親に渡し、
子どもたちの未来の責任を
一緒に持ちましょうというスタンスの変更です。


今後この議案が実行されれれば
日本の教育現場は間違いなく
ガラパゴス化していきます。
そこでどう明確なビジョンに向かって
子どもたちに“よりよい教育”をしてあげられるか。
私たち大人が
もっと考えなければなりませんね。

2014年11月5日水曜日

学校に騙される



空気抵抗ゼロなら
どんな物体も同じ速度で落ちるのは
実はウソでしたと言われて
つぶやいた一言です。
某科学系マンガの1コマ。


学校って結構ウソばっか教えてます。
そのことに気付いたのは
私が本を読むのが好きだからかも
知れません。


三権分立で立法権は国会が持ってると
誰もが教わるでしょうが、
実際に法律を作っているのは内閣法制局です。


数年前、絶対零度で凍らない物質が発見されました。
科学の根本原理が全て覆されるそうです。


地理で教わるデータは
だいたい数年前のものですし、
歴史はどんどん塗り代わり、
理科は
「ここまでアカデミックなレベルは要らない」
とはしょられています。


英語もgood morningを「おはよう」と教え、
I'm sorryを「ごめんなさい」と教え、
Nice to meet you.をいきなり使う挨拶のように教えます。


以前ゆとり教育であった
「円周率3.14を3で計算しましょう」
がかなり問題として取り上げられましたが、
実は今学校で教わってる内容は
ほぼこのレベルです。
でも、誰も問題にはしません。


その一方で成績や点数を
気にする親御さんがあまりに多い。
何を教えられているのか、
どんな風に教えられているのかを
気にする親御さんはあんまり聞きません。
私はそちらの方が気になって仕方ないのですが。


ちなみに、
もし学校や周囲が強制することなく、
子どもたちが純粋に
興味がわいたときに勉強をし始めたら、
おそらく中学校3年分の勉強なんて
1年くらいで済ませてしまえると思います。


現に私が高校受験を始めたのは
中3の夏からです。
半年でも十分な結果を出せました。


これは頭の良さとかではありません。
私は普通です。
ただ、やることを絞り込んだに過ぎません。
限られた時間の中で
志望校合格に必要な要素だけに
全力を注いだだけなのです。


それができたのは興味がわいたから。
自分の勉強に必要性を見いだしたからでした。


これが大学受験のタイミングには
自分が勉強していることが
どれだけ無意味な知識かを思い知り、
余計な時間を掛けずに結果にコミットすることを
考えました。
各教科を理解すること以上に
合格するにはどこまで仕上げればいいのか
ということに割り切ったのです。


受験が終わればどうせ忘れる記憶。
消えてしまってもいい記憶。
ならばバカ丁寧にやることもない。
ただ受験日その日に必要なレベルで
記憶に残っていればいいのだと。


ちなみに私は中学でも高校でも
成績は悪い方でした。
私自身は何も気にしていませんでした。
親は結構気にしていたようですが。


余計なことを気にしていると
本当に大事なことを見失ってしまいます。
どうしてみんなががむしゃらに勉強しても
成績が思うように伸びないのかというと
余計なことを考えたり
余計なことをしたりするからです。


そして、なんでそんなことをするかというと
興味も関心もないからです。
強制的にやらされているだけなので、
自分で効率とかも何も考えていないのです。
だから1年で終わるはずのことも
3年4年掛けてしまう。


私もそうでした。


それでもみんなと私が違うのは
学校を気にしなかったことです。
みんな学校を中心に考えるんです。
宿題もちゃんとやっていかなきゃとか
課外を受けるんなら予習もちゃんとしなきゃとか。


でも負担ばっか増やして
必要なことに手が回っていないことにすら
気付かないので、
頑張っても成績が伸びない〜ってなる。


勉強ってそんな難しいことではないし、
そこまで気にすることでもありません。
ただ、人生として学生時代を
どう過ごすかはしっかり大事にしてほしいと思います。

成績を伸ばすための最短距離

私は以前から
成績を伸ばすのは実は簡単だと
言い続けてきました。


かく言う私は
学生のときには成績はよくありませんでした。
今私が気付いたようなことを
当時は気付いていなかったからです。


私の性格上、
納得がいかないものには手が付かなかったし、
頑張った先にある程度保証されたものがなければ、
頑張ることも意味がないと考える学生でした。
どうしていつか忘れる知識を
わざわざ青春を削って覚えなくちゃいけないんだと。
ひねくれ者ですね。


ただ、これは全ての真理だと思うのですが、
やるべきことをやれば
成果が黙っていてもついてくるものです。
これは勉強だけではなく
ビジネスだって人間関係だって
なんだってそうだと思うのです。


問題はその「やるべきこととは何か」
ということでしょう。


やるべきことをハッキリさせたいのであれば、
まずは最終目的地を明確に決めてしまいましょう。


残り200日で○○大学に合格する、
センター試験で700点以上取る、
今年度中に学年順位で20番以内に入る、
など明確なゴールを設定してやるのです。


あとは現時点の立ち位置と
そのゴールを最短距離で結ぶわけです。


が、ここで一人で勉強するということに
限界を感じてしまう人が多いわけです。
分からないんですね、やるべきことが。


そこで詳しい人に聞くのが良いと
塾という選択肢の模索が始まるわけですが、
以前から申し上げている通り、
塾というのはシステムはあれども
ノウハウはありません。
ないと言うよりも、
カタチとしては授業もテキストも
カリキュラムもあるのですが、
効率的に成果を上げるにはどうするか
という発想は持ち合わせていないのです。


ざっくり言うと、
完全に聴く人を間違えているのです。
でも、親御さんもお子さんも
知識がないから
塾の担当の先生が言う話が
ありがたいものに聞こえて
なんだか凄そうに感じてしまうわけです。


その結果余計な荷物まで増やされて、
物量作戦にさらされる。
作戦と言うほどのレベルでもないですね。
ただ、根性で乗り切れ!という感じです。


そうならないためには、
大変かも知れませんが、
もう少し親御さんが勉強するべきです。
勉強の仕方も含めて勉強するべきです。


例えば病院に行って手術になったら、
自分でもあらゆる手法を調べて
担当医に質問して可能性を探るでしょう。
それを塾の場合には
ほとんどの方がやらないわけです。
丸投げです。


そんな面倒なことしている時間ないわ!
とおっしゃる方もおられると思います。
だからブランドで塾を選ぶんですよね。


でもブランドのある塾は
看板になりそうな生徒優先で
教室運営をするのが常です。
良い先生は優秀層にあてがわれ、
積極的に絡んでいく彼らは
どんどん先生が情報を提供していきますが、
勉強をさせられることに慣れている子たちは
何かをしてもらうのを待ち続けて
結局自分から現状をどうこうしようという
発想がないために放置されます。


すると子ども達は
学校+塾の課題で消化不良を引き起こし、
勉強に飲み込まれて勉強嫌いになるか、
まじめな子ほど精神的に病んでいく。


精神的に病むこと無く頑張れる子は、
それこそ知識習得しかできない無思考人間になり、
そのうち「頑張っても報われない」壁に
突き当たることになっていくのです。


と言うのは言い過ぎですか?
確かに可能性の話に過ぎません。
が、私はそうなるのではないかと懸念しています。
人生において注意しすぎて損することはありません。
リスクを恐れて何もできなくなるのは困りますが、
リスクを回避せんと今から必死に考えることは
ここにいる全員ができることです。
そして、今しかできないこととも言えます。


成績を伸ばすための最短距離を行くには、
その最短距離について知っている人を
見つけるのが良いのですが、
それは塾にはいません。
おそらく高い確率でいない。


では、どこにいるのか。


本屋に行ってみて下さい。
その手の本は五万とあります。
まずはその中から5冊ほど読んでみて下さい。
本当ならば20冊くらい読んでほしいですが。
ちなみに私の場合は脳機能や身体生理学、
心理学や哲学、歴史やビジネスや教育基本法など
あらゆる分野の本を当時で100冊以上は読みました。
その結果、結局自分で勉強するのが
一番効率的なんじゃんということに気付いたわけですが、
それはかなりの時間と労力を必要としますので、
まずは5冊ほどで感覚を養って下さい。
そしてそれらに同じことを言っている部分があります。
そこがエッセンスです。


別々の人が書いた本で
同じことを言っているということは、
その部分だけは勉強のルールであって
誰もが変更を加えられない、
避けて通ることができない部分ということです。


そういった情報をある程度収集した後、
塾の担当に色々質問をぶつけてみて下さい。
彼らがどれだけ勉強を知らないか
初めて実感していただけると思います。


問題はその先なのです。
その塾をどう活用するのかを考える。
担当の人に
「あなた全然詳しくないんですね」
と言ってしまったらケンカになるだけなので、
その塾のスタッフの勉強認識レベルを把握した上で、
誰に頼るのが一番安心できそうか、
どうこの塾のシステムを利用すると
効率よく勉強できそうかを
考えてみて下さい。


そうすれば、これまでの何倍ものスピードで
成績を伸ばして行くことが可能になるでしょう。

2014年11月1日土曜日

それは目的ですか?手段ですか?

今日はとても嬉しいことがありました。
私が英語の翻訳をお願いしていた方から、
私の言葉に感化されたという旨を
聞かされたのです。


その方は私のホームページを
英語に直して下さる仕事で
ご協力をいただいていたのですが、
そのホームページの文言と向き合っているうちに
自分の現状を顧みられたそうです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
これは「目的」なのか、
それとも「手段」なんだろうか。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


この疑問は私もまさに今
向き合っている課題です。


そしてその方は、
やっぱり自分の好きなことを通して
活動していきたいと、
現在国際交流イベントを実現すべく
準備を始められたのだそうです。


私の言葉で良い影響を受けていただき、
実際に自分の行動を変えられたと聞き、
恥ずかしくもありましたが、
それ以上に嬉しい気持ちになりました。
自分のやっていることは
間違っていないのだと、
その方の口を通して
神様から励まされたような気分になりました。


今やっていることが目的か手段か。
この意識は常に持っておかねばなりません。
もし今勉強で苦労されている方がいるなら、
それは勉強を目的化してしまっているからでしょう。


勉強は目的ではありません。
あくまでも手段に過ぎないのです。
しかし非常に多くの方が
勉強を目的化して取り組まれている。
そして案の定苦しんでもなお
成績が伸びないと嘆いているのです。


残念ですが、
今のままではどう頑張っても伸びません。
そこにはスコトーマが掛かっているからです。


スコトーマとは心理的盲点のこと。
人間はある制限を持った思考回路(発想回路とも)
を持っています。
制限とは「自分の思考レベル」
「自分の発想の幅」です。
その制約の中でしか答えを導けないように
なっているわけです。


これは至極当然です。
自分の持っていない(知らない)ことは
どんなに時間を掛けて考えても
答えを出すことはできません。
そして、もう少し踏み込んでいくと、
仮に脳内に答えがあったとしても、
それが盲点となって
全く見えなくなってしまうことがあるのです。


それは、目の前の事象に対する答えを出すのに、
それが役に立つはずが無いと
思い込んでいるために起こる心理的な盲点。
裏を返せば、意識を変えることで
外してしまえる盲点でもあるのです。


こうして見ると、重要なことは
勉強を「目的」だと思っていた自分の発想を
「勉強はあくまでも手段だ」と切り替えることにあります。


相手のことを「寡黙で付き合いづらい人」と見るか、
「めっちゃ頭良くて色々詳しい面白い人」と見るかで、
その人との付き合い方が大きく変わってしまうように、
どういう意識でその対象と向き合うかで
全くその対象から得られるものが変わってきます。


いつも言っているように、
所詮この世は情報でできていますので、
私たちの認識する世界は
解釈によってコントロールできます。
解釈を変えれば世界も変わる。
世界を変えられれば現実も変わるのです。


ちょっと小難しい話になっちゃいましたが、
今自分のやっていることが
目的なのか手段なのかを意識してみることで
必ず成績、点数が変わってきますので、
是非お試し下さい。

2014年10月29日水曜日

"20%"の人に贈るブログ

「パレートの法則」というのをご存知でしょうか。
「20:80の法則」としても有名です。


これはビジネス書などにもよく登場しますが、
全体の80%分の利益は
全体の20%の人から得られている、
というものです。


また別の例で言えば、
集団行動をとる働きアリの集団も、
実はしっかり働くのはうち2割で、
残り8割はさぼっているのだそうです。
そして、その2割のアリだけで集団をつくっても、
いずれその8割のアリはさぼり出し、
やっぱり2割しかしっかり働く者は
残らないというものです。


私はこれをこの2年間で実感しました。


当アカデミーと縁を持てた生徒さんの
ほとんど9割以上は
結果的に私から何も学べずに
このアカデミーを去っていきました。


中には、大きく意識を高めた生徒さんもいます。
アメリカに行く進路に変更し、
取り組む優先順位が変わったために
当アカデミーを去る決断をした方。


不合格にはなってしまったけれど、
浪人した先で志望校を引き上げ、
人生を謳歌するために勉強をしようと
意識を高く上げられた方。


こういう方々は「前進」なのです。
ここで得たものが点数だけではなかった
ということだからです。


しかし、その他の生徒たちは残念です。
成績は上げられましたが、
結局は自分を変えられずに、
こちらにアドバイスを求めなくなって
物足りなく辞めていくのです。


当アカデミーは「待ち」は放置につながります。
こちらから手を差し伸べることはありません。
なぜなら、そんなことをしても無駄だからです。


何が無駄なのか。


人は求めたときに降ってきたものしか
記憶に止めることができないのです。


日頃よく通る道であっても、
「そういえば通り道に文房具屋なかったかな?」
と意識しはじめて初めて
「あ、こんなとこにあったのか!」
と気付けます。


以前高校の頃の学年主任の先生に
再会したことがありました。
一緒にちょうど高校の同級生がいました。


彼はその先生と話す中で、
「僕は先生のおっしゃっていたこの話で、
 頑張ろうと思うことができています」
と伝えていました。
先生も嬉しかったでしょう。
今の私なら先生の嬉しい気持ちが
痛いほど分かります。


この時私は同時に
どれだけ自分が高校時代を
無駄に過ごしてしまったかと後悔しました。


先生方はきっとたくさんの為になる話を
して下さっていたはずなのです。
そのときに気付いていれば、
そのときにその先生の言葉の意味に
気付いていれば、
もっと早くに自分の大事な道に
気付けていたかも知れません。


そう、結局人は意識して聞かないと
人の話などすぐに忘れてしまうものなのです。


私はこの2年間で自分なりに一生懸命
信念を持ってやってきたつもりでした。
しかし、ほとんどの生徒は変わらなかった。
成績しか伸ばせなかった。


成績なんて伸びてあたり前なんです。
そうなるように教えているし、
やり方さえしっかり分かれば
3ヶ月以内に十分手応えを掴めるものです。


しかし、それ以上になろうとすれば
どこかで自分を変えねばなりません。
これまでの自分のままで伸ばせる成績には
限界があります。
そこからどれだけ伸ばせるかが勝負なのです。
だから限界突破(ブレイクスルー)なのです。


でもそれを実感させることができませんでした。
私の指導力もそうでしょうが、
そこまで求めている子が少ないのです。


与えられなければ考えられない。
与えられないときに
「どうすればいいですか!?」
と聴く発想にそもそもならない。
目の前の現実しか見えなく、
見えないところでもっと凄い奴らが
頑張っているんだということまで
イメージできない。
だから、そういう子達がいる場所に行かないと
自分を奮い立たせることもできない。
まだ今の学校で成績が振るわないのに、
そういう環境ばかり求める。
それが8割以上の子ども達に感じた
正直な感想でした。


私は他の塾では決して提供できない価値を、
これから20年後にも30年後にも
役に立つ思考力や発想力を、
懸命に伝える思いはあったのだけれど、
それを求めている生徒が少ない現実に
打ちのめされてしまいました。


これが熊本の現状であり、
日本の現状です。


とにかく目の前の成績なんです。
でも子ども自身は
そこまで成績を伸ばそうとも思っていない。
だから親はひたすら詰め込みやってくれる
既存の塾にねじ込もうとする。
親として何か努力をして
子どもをやる気にさせようともせず、
「この子にやる気を出させてくれ」と
丸投げしてくる。


塾はやる気を出させる場所じゃない。
それができるのは偶然であり奇跡です。
結果論です。
最も影響力を持つ教育者としての親が
最後の砦になっている学生時代には、
親がやる気を出させなければダメなんです。
でないと本人が気付くまで
親元を離れて大きな挫折や苦しみを伴うまで
当事者意識を持つことはできなくなります。


とは言え、それもタイミングですから、
そのタイミングがいつか来ると“信じて”
待つしかないとも言えるのでしょうね。
私は待つのは嫌いですが。


やる気と言うと大げさですが、
要は問題意識です。
今のままではいけないのではないかと、
本人の意識レベルに応じて伝える。
それは本来親がやることです。


私はその代わりになろうとしていました。
でも、現実的にそうならないことが多かった。
気付こうとしない者に、
本気で成績を伸ばそうと思えない者に、
こちらがどんなに一生懸命指導して、
優秀な人材を揃え、
成績を伸ばす全ての条件を揃えたとしても、
それを実践しなければ何も変えられない。
目の前に100万円置いても、
取りにいかねば無いに等しい。


私も未熟でした。
未熟なりにもがいてあがいてみたけれど、
人を変える、他人を変えるのは
これほどまでに難しいのかと再確認しました。
いやはや情けない。


しかし。
以前から申し上げている通り、
単に成績を上げるだけなら
他の塾に行っていただいた方が良い。
そんな意味のないことは私はする気はありません。
ただ勉強して成績を伸ばしてほしいという方は
最初から当アカデミーは検討されなくて構いません。


今の成績がどんなに悪くても、
なんとか今の自分の状況から抜け出したい、
それが成績をまずはしっかり伸ばすことでできる気がする、
という明確な問題意識と意志をお持ちの方は
是非お声掛け下さい。


そういう方は現実問題少ないけれど、
そういう子がこれから先の日本には
必要な人材なのです。
そしてそういう20%の子たちにこそ
私の人生を投資したい。


ブレイクスルー・アカデミーは
本気の子たちのためにある学習環境です。
色々えらそうなことを宣いましたが、
その思いを曲げるつもりはありません。
私は本気です。
だからこそ本気の子たちの役に立てればいい。


この思いが、
そんな子たちに届くよう願って
このブログを書きました。


では。

2014年10月27日月曜日

勉強だけやっても成績は伸びません

私の地元熊本には
霊厳洞という場所があります。
ここはかつて宮本武蔵が『五輪書』を
書いたと言われる洞窟がある場所です。


『五輪書』というのは武士の心、
もっと言えば兵法について書かれたものです。
宮本武蔵が独自に悟り導きだした
戦うということへの本質論と
その心構えみたいものを
1冊の本にまとめたのです。


今回は初めて現地に赴いたのですが、
勉強不足で『五輪書』を読んでいなかったので
今日から早速読み始めています。
その中で気になったフレーズがあったので、
今回はそれをご紹介したいと思います。


読んでいるのは現代語訳版ですので、
少し現代語にアレンジしてありますが、

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
剣術一通りの利のみ考えていては、
剣術そのものも理解できないであろう。
勿論、兵法に適うはずはない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


これを勉強に読み直せば

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勉強一通りの利のみ考えていては、
勉強そのものも理解できないであろう。
勿論、試験に適うはずはない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

という感じでしょうか。


これは私自身も実感を得た瞬間がありました。
「ん?これはただ単に我武者羅にやっても
 効率が悪そうだぞ??」
と気付いた瞬間があったのです。


そのとき初めて勉強から一旦距離を置き、
勉強法や成功法則、脳機能や
記憶のメカニズムなどの情報に
意識を向けることができました。
そのおかげで外側から勉強を捉え直し、
客観的になれたことで
勉強の攻略方法が分かったのです。


実はこの「客観的に把握」というのが大事で、
剣術だけ磨いても強くなれないというのが
正しく勉強だけやっていても成績は伸ばせない
ということにリンクしてくるポイントなのです。


実際、勉強だけをひたすら頑張る
真面目な子ほど、
時間を掛けないと成績をキープできないという
かなり辛い状況に追い込まれます。
それでも、体育会系の部活を終えた者たちに
最終的には抜かれてしまうわけです。


これは残念ながら必然です。
勉強だけしか見えていない真面目な子と、
勉強以外で時間を取られて
工夫せざるを得ない彼らの間には、
運動という別の分野で得たものとの相乗効果で
プラスα分だけのギャップが生じています。


難しい言い方をしてしまいましたが、
勉強だけをしていても発想が広がらず、
逆に勉強以外のことをするからこそ
勉強を客観的に見られるようになる、
というわけです。


加えて言えば、
同じ作業をやり続ければ
誰でも気持ちが萎えてくるものです。
上手く勉強以外のこととのバランスを取って
取り組んで行く方が
精神的にも健全です。


つまり、色々な角度から検証しても、
勉強だけをやり続けて
効率が上がる理屈がないのです。


このことを踏まえて
自身の勉強への取り組み方を
改めて考えてみて下さい。

2014年10月23日木曜日

学力は彼らに学べ!

最近Youtubeを使った勉強も進めています。
何をしているかというと
“論破”系の番組を観まくっているのです。


論破というのは論理でやっつけることですが、
要するに相手の思慮の浅さや視点のズレを
論理的に指摘して代替案を持ちかけるものです。


これが単なる批判や誹謗中傷で終わるなら
私も勉強の対象にはしませんが、
彼らの論理的な思考展開は
かなり勉強になります。


では彼らとは誰なのか。
それは
・堀江貴文
・西村博之
・橋下徹
です。


堀江貴文さんはホリエモンで有名ですので
説明は要らないでしょう。


西村博之さんは「ひろゆき」でよく出演されている
『2ちゃんねる』の開設者です。
彼の思考は卓越しているので
その論理展開は観ていてかなり爽快です。


橋下徹さんは先日まで
大阪都構想の実現のために尽力されていた
元弁護士の方。
この方も有名ですね。


Youtubeで検索すれば
この方々の論破系の動画が
ごまんと出てきます。
それを時間の許す限り観て頭に刻んで
自分のイメージに取り込んでいるのです。


彼らは3人とも結構敵をつくるキャラです。
余計な軋轢を生むことも多々あります。
典型的な“出る杭”です。


味方だったり外野にいれば全然面白いのですが、
おそらく敵にまわしたらめちゃくちゃイヤな奴らでしょうね。


しかし彼らは論理的です。
感情論に流されることなく、
常に未来における最適解を模索しています。


よく、どうして日本からは
スティーブ・ジョブズのような天才が
生まれないのか!?
という議論になります。


でも出てくるわけがありません。
上に挙げた3人が“出る杭”と言われる日本では
そんなはみ出し者が許容されるわけがない。


日本は和を尊ぶお国柄ですから、
和を乱していく彼らのようなキャラは
よしとされません。


昔から日本の教育は
幼稚園か保育園から始まって
小学校、中学校、高校、大学と続いています。
1本のレールの上を受験競争にさらされながら
進んでいくのが当たり前の世界です。


このシステムが何を生むかというと、
その1つが時間軸の固定化です。


私たちの多くは
時間は過去から現在、
そして未来に向かって続いていく、
という風に発想します。


時間に関する発想をこんな風に固めてしまうのは
日本教育が上記示したように
1本のレールであることも一つ原因です。
なぜなら、過去の結果が
ずっと付いて回る仕組みだからです。


日本の学校偏差値の分布図を見れば、
分かりやすいほどのピラミッド構造。
そのバランスを崩しにかかる学校も出てきましたが、
本質は変わりません。
同じです。


偏差値の高い子たちが
偏差値の高い大学に向かって
頑張っているという全体的な状況は
全く変わることはありません。


進路相談も学校のこれまでの成績と
模試などの偏差値を基準に切り分けられ、
受けたいところを受けさせてもらえません。


親御さんが看板で判断するからです。


親御さんも大金を投資する以上、
それ相応の保証が欲しい。
その保証の如何を推し量るのが
どこの大学に何人合格したか、
どこの会社に何人進んだか、
といったこれまでの実績なのです。


すると、学校や塾も合格者を出さねばなりません。
となれば保証のありそうな生徒にしか
受験させたくないと思うのが必定。
不合格をなるべく出させないためです。
落ちそうな子は不合格になるよりも
レベルを下げてでも合格実績にしなければ
看板に書くことができません。


こんな風に誰もが過去の実績から
現在を推し量り未来を予想しようとします。
その発想が凝り固まっているのです。


しかし、上記に挙げた3名は
視点が全く逆を向いています。
過去のデータをもとにはするものの
未来から現在を吟味しているのです。


過去のことなんて全くどうでもよくって、
(勿論データとしての判断材料にはしますが)
むしろ重要なのは現在進行形の価値観や現象。
ようするにこれから何をするのが一番最適?
という、この1点しか考えていません。


そのため常に他のコメンテーターの方々と
意見が対立してしまうのです。
発想が真逆なので相容れないのは当たり前ですが、
それで議論が喧嘩になって終わるというパターンが
動画の中では多々ありました。


勿論、言い方を考えなよって思うところもありますが、
そんなことを気にするのは日本人くらいで、
あくまで何を言っているのか、
その意見の正当性、妥当性はどうなのか、
この部分に常にフォーカスして考えられる人が
結構観ていて少ないんですね。
このことも勉強になります。


これは客観的に視聴者として観ていると分かりますが、
自分が論破される側の人間にならないように、
と思うんです。
そうすると自分の取るべきスタンスだったり、
思考の限界を取っ払う方法だったり、
彼らの論理展開や目の付けどころなんかを
しっかり盗みに掛かるわけです。


細かい言い回しで揚げ足を取ろうとする人間になるか、
圧倒的な情報量と実践力、そして論理的思考能力をもって
真剣に議論に取り組む人間になるか。
ちゃんと相手の言い分を聞いた上で
はっきり違う時は違うと主張し、
もし自分が間違っていたら素直に詫びる。
これが大人の議論かと思います。


今私が参考にしているのはこの3人ですが、
これから自己主張の仕方も研究し、
より正確に私の考えが周囲に伝わるよう
努力を重ねていきたいと思います。


もしあなたが学力を伸ばしたいと思ったら、
この3名に関する動画を
徹底的に観まくって下さい。
それだけでも全然効果があると思いますよ。

2014年10月18日土曜日

私は間違っていた

今日は突然嬉しいお客さんがありました。
以前宇土の能開で教えていた生徒が
私を訪ねてきてくれたのです。
実に3年ぶりの再会でした。


彼は今高専に進み、
かつて話していた建築の夢に向けて
着実な前進を遂げていました。


それだけではなく、
全体ではラフに構えつつ、
自分には何が大事で
どこで手を抜けそうか、
自分に与えられた時間を
どうやったら有意義に使えるかなどを
本気で真剣に考え、それを実践し、
ちゃんと結果にも出してしまえる
素晴らしい男になっていました。


勿論すべてが順風満帆ではなかったけれど、
悔しい思いや苦しい経験を通じて
しっかりそれらを乗り越え、
次の成長に活かせる忍耐力も持ち合わせています。


彼と話をしながら私は、
「ああ、俺は間違っていた」と感じました。


実は最近私は行き詰まっていました。
昨夜正に奥さんに私の内面を吐露したばかりで、
それでもなお私の中にはスッキリしない
しこりのようなものがあって、
のどの奥に抜けない魚のとげがあるような
モヤモヤした気分に沈んでいました。


でも、今日彼が来て色々と話を聞く中で、
今を生き生きと前向きに、
そして困難を乗り越えライバルたちと
良い意味で切磋琢磨して過ごす
一生懸命な若者の勢いを感じ、
大いに刺激を受けることになったのです。


そして私の頭の中に自然湧いた思いが
「ああ、俺は間違っていた」というものでした。


なんでそう思ったのか、
何に対してそう思ったのかはハッキリしませんが、
私は間違っていたのです。
それも明らかに間違っています。
それを正さなければならないと気付いたのです。
不思議な感覚でした。


そして、これは正に絶好のタイミングでした。
神様が私のために彼を使わしてくれたと
素直に言えてしまうくらい、
ベストなタイミングで
ベストな刺激を彼は私に残してくれました。


まだモヤモヤがスッキリ解決したわけではありませんが、
私は大きな前進のきっかけをもらった気がします。
負けてはいられません。
なんとかしなくては。


今日のこの数時間が
私にとってものすごく貴重な瞬間でした。
私の運命を大きく後押ししてくれました。
すごく今心地いいです。


さて、今日も残り3時間。
大事に過ごして終わりたいと思います。

2014年10月13日月曜日

無料塾を開校しました!


現代にはとっても便利なものがあります。
そう、Youtubeです。
この無料で使える動画配信サービスを活用して、
バーチャル空間での
無料塾開校を考えていました。
そして今日ついにその更新作業を始めます。


はじめはこれまで撮りためていた動画をまとめておき、
徐々に新しい動画を加えていき
充実したものにしていこうという魂胆です。


また、視聴者の皆様からリクエストをいただき、
その動画を撮って配信するというサービスも
検討しております。


なお、リクエストをいただけるのは
私のTwitterもしくはFBで
友達(フォロワー)になって下さっている方のみに
限定させていただきます。
FBはこちらです
Twitterはこちらです
どちらも「L&S Consulting エルアンドエスコンサルティング」
もしくは「ブレイクスルー・アカデミー」
もしくは「安東正治(あんどうまさはる)」
と検索いただければヒットします。


ので、是非気になられた方は
ドシドシ友達申請、フォローの方を
お願い致します。


私は勉強が本当に大好きなので、
どんな分野でも基本的には大丈夫です。
ただ現状未履修分野に関しては
時間をいただくことがございますので
あらかじめご了承下さい。


では、これからも一緒に勉強楽しんでまいりましょう!

2014年10月9日木曜日

ハイパーリンク学習法

これは以前もご紹介した学習法ですが、
現在進行形で使い続けている感覚を
再度お伝えしたいと思います。


今回は映画『アベンジャーズ』をきっかけに
私のハイパーリンク学習法に火が点きました。


アベンジャーズとはそもそも
どんなストーリーなのか。
登場人物が皆主役級の者たちです。
そもそもなんでこんなスターたちが
一堂に介して戦っているのか、
その理由からして気になります。
つまり、作品そのものへの興味です。


ちなみにAvengerとは
復讐者、報復者という意味です。
これは「復讐」という意味のRevengeを
想起させるかと思います。
そこで英語の意味を調べたいと思うわけです。


登場人物を追うと、
アイアンマン、マイティー・ソー、
キャプテン・アメリカ、ハルクなど
有名どころ満載です。
そしてそれぞれが独自の背景を持っており、
ありがたいことにDVDにもなっています。


例えばマイティー・ソーは神様です。
どんな神様かと言うと北欧神話に関係しています。
ここでオーディンやロキが出てくる時点で
北欧神話を調べたい!となりました。


また、キャプテン・アメリカは実は
第二次世界大戦下のアメリカで活躍したヒーロー。
彼がどんないきさつで現代にいるのか。
そして、当時の戦争とはどんなものだったのか。
それを日本だけでなく世界目線で調べてみたい!
という思いも出てきました。


ハルクは超人。
でも怒りで変身する人間です。
なぜ彼がそうなったのか。
すると背景には細胞研究があり、
ガンマ線を浴びた事故があったことで、
超人になれるようになりました。
この時点で「ガンマ線ってなんや!?」
「そもそも放射線ってなんだったっけ?」
「ベクレルとかシーベルトとかって何!?」
という興味が湧いてくる。
理科系の分野を調べ直すことになりました。


アイアンマンも高い技術力はもとより
大金持ちという設定です。
彼の生き方、考え方を参考に、
今の私はこの天才かつ金持ちの価値観を学ぶべきだ!
と正直思ったわけです。


つまり私にとっては映画も
勉強の起爆剤になるのです。
こんな自由な学びほど
幸せなものはありません。


私は今知的好奇心が止まらない状態にあります。
もっともっと色々なことが知りたいのです。
究極な自己満足でしょうが、
それを皆さんと共有することで
何らかの役に立てるんじゃないかと
思ったりするんです。


これが本当の学びなんだと思うのです。
もちろん理想論ですが。
私の目標設定上あらゆることを学ぶことが
重要な要素になっています。
これが子どもの時からあったら
きっと天才になっていたでしょう(笑)


私の勉強好きという気性(意図して発動させた気性ですが)を
是非皆さんの学力アップに役立てて下さい。
それが私の最高の喜びです。


そしてこのハイパーリンク学習法。
かなりオススメなので
是非頭に置いておいて下さい。
これは大人になってもかなり有効です。

2014年9月30日火曜日

この夏を後悔しないために

夏〜って感じです、今日の熊本。
暑い!
でも夏はこうじゃなくちゃ。


最近”後悔”系のドラマや映画に意識が向いています。
ちょっと旧いんですが
『プロポーズ大作戦』とか『17again』を鑑賞中です。


これらは過去に戻ってやり直したい!
っていうストーリーなんですが、
実際に過去に戻ってその場に立ったら、
やっぱり思うように行動できなかったりするんです。
じゃあ今目の前のことに後悔しないように取り組むなんて、
もっと難しいですよね。


人のためにとか、傷つけたくないからとか、
周囲に迷惑をかけたくないからとか、格好つかないからとか、
きっと大人の言い訳っていくらでもバリエーションがあって、
いくらでも自分を正当化できちゃうんです。
でも結局、やりたきゃやればいいのにって言われたらそこまでで。


あのときああしとけば良かったとか、
あ〜今これ言わなくちゃ!とか思って言えなかったりすると、
ずっと刺さったまま抜けなくなっちゃうんですよね。
ものすごく苦しい。
取り返しもつかないし、
現実には過去に戻ったりはできないから、
ドラマや映画みたいにはなれませんが、
今この瞬間を精一杯生きるしか私たちにはできないんだっていう
当たり前のことに、改めて気付いてみたりします。

まだ起きてもいないことを勝手に妄想で膨らませて、
勝手に不安になったりして、
やりたいことよりもやるべきことを優先して、
今って時間をそうやって自分に嘘を繰り返して
“頑張る”っていうのは、
苦しい選択だなと最近考えたりするんです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お前は何度同じ失敗をしたら気が済むんだ。
なんでタイミングやきっかけに頼ろうとすんだよ。
この信号が変わったら告白しよう、
この車が通り過ぎたら言おう、
二人きりになったら気持ちを伝えよう。
んな小さなことにこだわってるから、
大きな幸せが掴めないんだ。
by妖精『プロポーズ大作戦』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


妖精さんのこの言葉は結構今の自分に響いたりして(笑)
あれですね。
この妖精は『夢を叶えるゾウ』のガネーシャと同じ部類ですね。

まぁ、何を言いたかったかと言うと、
生きるってのはマジ楽しい!と思えることのために
自分の今を生きよう!ってことです!
そして熊本は今日はすげぇ良い天気だ!ってことです!(笑)

2014年9月27日土曜日

文系学部の規模縮小は良い傾向

※関連記事
 産経ニュース:国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換、文科省が素案提示
 http://www.sankei.com/life/news/150528/lif1505280016-n1.html


今更な感がありますが、私見を述べさせていただきます。


文系学部を縮小する文部科学省の考えの“真意”はどうあれ、
この結果のもたらす効果を考えると、
私は賛成に回りたい気持ちです。


以前浪人していた予備校で、
文系コーストップを張り、
東大文Ⅰに進んだ友人はこう言っていました。
「文系のトップって言っても全然嬉しくない。
 だって数Ⅲやってないもん」


私は長く教育関連のアルバイトやら仕事をしてきて、
数学が苦手だから文系に進むという決断をする学生を
山ほど見てきました。
そういった経験を踏まえて言えば、
文系学部には機能不全に陥っている学部が多いと考えています。


ハッキリ言えば、
数学な苦手な者たちの受け皿になってしまっていた面も
多分にあるということです。
勿論、十把一絡げにするつもりはありませんが、
そういう事実は間違いなくあると思います。


ちなみに文系に進む者たちのほとんどは「国語力」に欠けています。
なぜか。
数学を棄てるということは、
論理的思考力の育成を断念することになるからです。


「国語力」というのは言葉だけが一人歩きしていますが、
その実態は存在しません。
国語力と明確に定義されるものは存在しないのです。
もしあると仮定するなら、
それは読解力と伝達力と言えるでしょう。
要するにコミュニケーション能力の基盤となる能力です。


読解力とは相手の言わんとしていることを読み取る能力であり、
これは国語の問題で養うことになる「客観力」に根ざしたものですが、
伝達力は回答力を通して磨かれます。
回答力には数学の論理的思考能力が不可欠な要素で、
これがないと抜け、漏れ、ダブりを意識する機会は少なくなります。


また、文系学部が理系学部に比べて
市場発展に寄与しないという文部科学省の見解ですが、
これは一部の優秀な人材を除くと
「そうだ」と言わざるを得ない状況だと思います。


例えば哲学でも、それ単独で身を立てられる者は数えるほどで、
倫理の教科書を見ればお分かりの通り、
社会や科学や数学などの他分野で活かされていることが多いものです。
文学的素養というのは、それ単独で成り立つというよりも、
社会発展に貢献する何かしらの別のカタチを通して
威力を発揮するものなので、
確かに国家の発展を急がれる今の日本からすれば、
理系に資金を集中投資したい気持ちも分かります。


これは文系よりも理系が優秀!ということではなく、
実益を考えた場合に即効性のある方に
より優先的に力を入れたいという思惑です。
L型G型構想に並行して取り組みたい案件ではありますよね。


選択と集中という企業としては当たり前の戦略が、
こと教育関連分野に至ると、
デリケートな分野だけに色々な感情的軋轢を生みます。
しかしこの構想は私もアリかなと思うところです。
皆様はどう思われるでしょうか。


長文失礼致しました。

2014年9月24日水曜日

彼女を追いつめたのは何なのか

飲食チェーンの女性従業員が自殺「原因は上司のセクハラやパワハラ」と遺族が提訴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150721-00003423-bengocom-soci


今朝の報道番組『特ダネ』で見かけたニュースからです。
重たい話ですみません。
しかし教育を語る上で
かなり重要な問題が内在しているので、
どうかご一読下さい。


この事件に関して個人的にもネットニュースや
Youtubeで動画を確認したところ、
どこも同じ部分を切り取って放送していることが分かりました。
しかし『特ダネ』だけはもう少しだけ情報が公開されていました。
それは父親の記者会見でのセリフです。


「娘は死んじゃった。死んじゃいましたが。」
「勝手に学校も辞めて、仕事まで辞めるのか。
 それじゃまた同じことの繰り返しじゃないかと。」
「親の反対を押し切って学校を辞めて、
 自分で始めた仕事も辞めたら、
 もうツーアウトなんですよ。もう後がないんです。」


この言葉を聞いたとき、私はゾッとしました。
そして、この事件に関するほとんど全ての報道
(ネットで確認した限りのあらゆるソース)が偏向報道であり、
歪曲された内容が伝えられていると感じました。


まず最も重要なのは、何が彼女を死に追いやったかです。
その原因が本当にサイゼリアなのかどうかという話です。


そもそも親にも友達にも相談を持ちかけていて、
どうして死ぬところまで追いつめられたのか。
明らかに不自然です。
それに心中を持ちかけられて自殺するに至る間が、
どうしても理解できません。


このことを考えると、
直接的な問題はサイゼリアの副店長にあったにせよ、
この問題を回避する手段は自殺以外にも当然あったはずなのです。
そして実際彼女は親にも友達にも相談を持ちかけている。
それでもなお周囲が彼女の逃げ場所になれていなかったことが、
今回の事件で最も留意すべき点だと私が感じています。


ここで先日の福島の女子行方不明の事件同様、
親の言葉の言い回しがものすごく引っかかりました。


また同じことの繰り返し、ツーアウト、もう後がない


親がこういう言葉を使うということは、
親がそういう認識を娘に強要していたことが伺えます。
もう次は失敗できんぞ、と。
実は親のこの認識は子どもを追い込む一番の原因になるのです。


日本は失敗に厳しい国です。
性格的に失敗を恥ずかしいことだと思い、
失敗は悪だと教えられて育ちます。
それは学校教育でもそうですし、
学校教育を受けて育った親が家庭の中でもそう教えます。


イヤになったらすぐに辞めなさい、とは言いません。
簡単に辞めるな、簡単に投げ出すなと教えます。


点数が低いと頭が悪いと言われ、
偏差値が低いと受験することも止められ、
間違ったことを言ったりしたりすれば周囲から笑われ、馬鹿にされます。
こんな環境で育つと「失敗したらヤバいことになる」と
学習することになります。


ニュースでもそうです。
政治家はちょっとした言い回しのせいで
すぐに責任を問われ辞職に追い込まれるし、
面白くない芸人は失笑を買い辱められます。
国を背負い勇気ある決断を続ける安倍首相もどんどん支持率を落とし、
大阪を良くしようと命をかけて戦い続けた橋下さんにNOを突きつけ、
時代の申し子ともてはやされたホリエモンを
よく分からない理由で投獄しました。
それが日本です。


そんな時代では、親が子どもの
セーフティー・エリアになってあげなければなりません。
しかし大抵の親は躾と押しつけを混同し、
自分の価値観を子どもに強要して、
自分の望むような成功をおさめてほしいと求めます。
教育は学校に丸投げし、勉強は塾に丸投げして、
塾のブランドやテストの結果や偏差値指導や先生の言葉で、
子どもの人生の重要な決断をしてしまおうとします。


リスクとデンジャーの違いも教えず、
危ない場所からはすぐに逃げろという
当たり前のことすら教えず、
いじめに気付きませんでした、
アンケートではそういうことは書いてありませんと言う。


そもそも今回の件で、
サイゼリアがパワハラ、セクハラの研修を
やっていなかったことが問題視されてたりもしますが、
そんなのしなくても分かるだろと。
それに学校がいじめに気付けないくらいなのだから、
店長までグルになってたパワハラ問題に上が気付くはずない。


一番の問題は、気付いた人間が止められなかったことの方なのです。
なぜ「逃げろ」と言わなかったのでしょうか。
なぜ無理矢理にでも逃がしてあげなかったのでしょうか。


もちろん自衛が基本です。
自分で危険を察知し逃げられることが一番です。
しかし、気付いた人が、親が、
どうして止められなかったのかが一番不可解です。
それは親が「次に失敗したらおしまいだ」という
認識を持っていたからです。


こういう親を持つと、子どもは親に頼れなくなります。
自分の話を聞いてもらえないことが分かるからです。
20代と言えば大人に分類される年代です。
もう誰かに頼ってはいけないのだと
無理矢理追い込んでいったのかも知れません。


サイゼリアに1億円吹っかける前に、
この問題の本質的な問題をもっと取り上げなくてはなりませんが、
ニュースでこんなデリケートな領域には
入り込めないからこその偏向報道でしょう。
そして自分のところのアルバイトさんが
自分のところの店舗の店長、副店長の行為がきっかけで
亡くなっているにも関わらず、
訴状が届いておりませんと平気で言えてしまう日本社会です。
これが問題なのです。


英語?プログラミング?
違う。
学校で教えるべきこと、
親が教えるべきことはもっと他にある。
私は切にそう思っています。


長文失礼致しました。


2014年9月23日火曜日

平和とは一体何なんでしょうか

MARVEL映画『マイティー・ソー』で、
主神オーディンが息子たちにこう言う場面があります。
「賢い王とは好んで戦ったりはしない。しかし、戦う覚悟だけはしておけ。」


ふむふむ。


週刊少年ジャンプ連載中の漫画『ONE PIECE』では、
ネフェルタリ家に使える重臣ペルがビビ王女にこんなことを言っています。
ビビ「なぜ毎日戦いの訓練をするの?」
ペル「護衛兵ですから
   ……この国を お守りする為です
   強くならなければ」
ビビ「誰と戦うの?」
ペル「さァ 戦うことより… 守るのです」
ビビ「違うの?」
ペル「…目的の違いです」


ふむふむ。


人気漫画『ドラえもん』の劇場版『雲の王国』では、
高い文明を持つ天上人と対話をするために、
ドラえもんは彼らの住む雲を溶かしてしまえる武器を持っている事を
表明することを考えます。
「勿論ほんとに使うつもりはないよ。
 でも天上人と対等に話すにはそれしかない。」


最近「戦争法案」なんて過激な煽りを受けて
安全保障関連法案が問題視されています。
先日の「強行採決」報道の辺りから
どうも騒々しくなってきています。


そんな中で私は「平和とは何だろう」と考えてしまいます。


私は戦争世代でありませんから、
映画や話を聴いたレベルでしか感じることはできません。
でも、戦争はもちろんしたくない。
てか、誰も戦争したいなんて思ってない。


でも、「戦争法案」とか言われて、
「強行採決した」とか聴くと、
短絡的に「安倍首相は戦争に向かってる」と早合点してしまう。
直情的に「反対運動だ!」となる。
脱原発の騒ぎのときの様子が蘇ります。


例えばキリスト教にも1000年王国という発想があります。
平和な1000年が終わると世界が終わるという
終末思想のことです。
今日勉強した北欧神話でも、
神々は最終戦争ラグナロクに向けて着々と準備を進めています。


宗教や神話の世界ですら、破滅や戦争が前提になっている。
破壊があって再生があるのだと。


現在でもISISがイスラム教という背景をもって
平気で大規模な殺害行為や歴史冒涜行為を繰り返しています。


人を救うためにあるはずの宗教が、人を殺す理由になってしまう。


同じ「平和」を口にする人たちが、
自分とは違う考えの人たちをけなし、
相手の意見を聞き入れることなく批判している様子は、
正直「平和」からはほど遠いと感じます。


「民主主義」に対する冒涜行為だ!
とのフレーズも耳にしますが、
そもそも民主主義がそんなに機能していた国でしたっけ日本て。
自分の話を聴けっていうことだけですよね、たぶん。


人を好きになるという、至極個人的なことでさえ、
すれ違いが起これば必ず傷つく人が出てきてしまう。
でも、別に誰かが悪いわけではない。
ただ、誰かが誰かを好きになっただけ。


世の中はもっと複雑だし、
そういうすれ違いはたくさん起こるのであって、
それこそ言語や文化が違い、
これまでの歴史的な認識においてすら食い違うようなことが起これば、
お互い喧嘩になるのも仕方がない。


18世紀なんかヨーロッパではバカスカ戦争やってたし、
世界史では王様とか財務長官とか宰相の名前くらいしか出てこないけど、
ちゃんと家族もいて夢もあった血の通った人間が何万人も死んでいたはず。
そんなリアルも教えずに、
年号とか戦争名とかばっかり覚えさせるような教育やってるくせに、
いっぱしに民主主義語って「戦争法案反対!」とか言える人の気が知れない。


人はすれ違うし、食い違うし、喧嘩する。
それは友達だってそうだし、夫婦だって親子だってそう。
他人ならなおさらだ。
民主主義以前の問題じゃないのかな。


平和って何ですか?
何をどうやって守ろうとしているんですか?
それをハッキリさせないまんまで、
賛成も反対もないでしょうにと思ってしまいます。


2014年9月22日月曜日

いじめの解決方法

https://youtu.be/y8cH-3QDzr4


ある方がFBで共有されていたので拝見し、
私もこの考え方に近い価値観だったので共有します。


先日長谷川さんのいじめに関するブログを
非難している方とFBでやり取りをしました。
こちらが話題に挙ったブログです。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44904588.html


長谷川さんの主張としては
「いじめという現象は、
 いじめる側が悪いと断言できる場合も多いが、
 いじめられる側にも何かしらの問題があるケースも中にはある。
 だから、何でもかんでも『いじめ』と言わずに、
 状況をしっかり把握し、適切な認識を持ちましょう」
というものでした。


「いじめ」において、
「いじめられている側にも何かしらの問題がある」という発言は、
かなり反発を生むものです。
当然のように、
長谷川さんのブログ非難をしていた方の投稿には、
長谷川さんのその主張を心なく否定する方々のコメントが並びました。


「いじめ」というのはかなりデリケートな問題ですので、
勿論色んな方に配慮が必要な話題であることは分かりますが、
本当に真剣に「いじめをなくそう」と考えているのなら、
「いじめられている側には何も落ち度はなかったのか」という点にも
メスを入れなければならないのです。
客観的にならねば、
冷静に物事を考察せねば見えない盲点というのは確実にあるのです。


しかし、中にはいじめと聞いただけで、
いじめで少年少女が自殺したと聞いただけで、
思考が停止して直情的に「いじめた奴が悪」という議論になってしまう。
そして、長谷川さんのような勇気ある発言者を
「逆張り」とか「炎上狙い」とか平気で罵れてしまうわけです。


今回は、そんな「いじめ解決法」について、
今はテレビから一線を引いている紳助さんが、
見事な解決方法を提案されています。


「いじめられたことにも原因があるはずや」という側面と、
学校や教育現場ではなく親がまず全面的に解決に乗り出し、
「ここまでやって解決せんなら引っ越せばいいやん」と
子どもの味方であることを示すその姿勢に、
全く同じ思いを抱いた次第です。


私は本当に「いじめ」なんてなくなれば良いと思います。
これは今の安全保障関連法案にも繋がるところがあります。
戦争なんて絶対にしたくない。
あってはならない。


しかし現実的に、
いじめを世の中からなくす、
戦争をこの世界からなくすということに取り組むのなら、
見たくない部分も見なくてはいけないし、
言いにくいことも言わなくてはならないんです。


「いじめはダメだ」「戦争はイヤだ」と言うのは簡単です。
でもそんなことを100回200回言い続けても、
なくなるわけがない。
なくすためには考え、行動することです。
考えるということは、
いじめに関するあらゆる要素を客観的に観察しなければならないし、
特に親が真っ先に気付き対処を考え、
実際に行動しなければなりません。
学校がどうこうするなんて期待してはダメです。
戦争をなくすのだってそれに関する
心理学、歴史学、政治学、宗教学などの
あらゆる側面から研究し紐解いていかなくてはなりません。
何千年も続いてきたものをなくすには、
それ相応の努力がいると思うんです。


こうした怒りや憎しみから起きる喧嘩騒動が、
どうにか根底から立ち消えるような妙案はないものかという思いに、
この動画はとても参考になると思います。
是非ご覧いただけたらと思います。

2014年9月20日土曜日

暑い熱いデモイベント

高校生達が渋谷で安保法制反対デモ!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7436.html



今度は高校生メインのデモががが。
プラカード見て一瞬海外の話かと思ったんですが、
日本の高校生か〜頑張ってますね。


でもこうやって、どんな形であれ政治に関心を持ち
(政治ではなく自分のことしか考えてないのかな、もしかして)、
実際に行動をして社会経験を積むというのも悪くないかも知れません。
英語の勉強にもなってるようだし、いい面もあるのかな。


ただ、もし自分の子どもがこういうデモに参加したいと言ったら、
とりあえず質問攻めに耐えられるかを確かめます。
ちゃんと知識を持ち、論理的な意見を持って、
それでも反対なら好きに活動すればいいと思います。
もし質問に答えられないようなら、
やっぱり「バカたれ!」って言うでしょうね(汗)


相手に文句言うのに、
相手を何も理解していないというのは明らかにアンフェアだし、
努力不足。
失礼な行為です。
ただの鬱憤ばらしにしかなりません。
そんなことする前に勉強せんかいと言うと思います。


択捉島にロシアが滑走路を建設し、
軍事パレードで中国と肩を並べて日本を名指しで批判し、
新兵器アルマータをお披露目しても、
中国が軍事費を増やし続け、
北朝鮮や韓国が核ミサイルを日本に向けても、
まだ状況が掴めない。
首相が懸命に「戦争を起こさないための法案だ」と言っても聞く耳持たず、
「戦争反対」「徴兵制反対」と意味分からないことを言い続ける。
よっぽどこの人たちは戦争したいのかなって思ってしまう。


そもそもメディアも、
「戦争法案」「徴兵制反対」と煽り、
しまいには韓国の声を取り入れて「徴兵制になる」という見方を吹き込み、
それを鵜呑みにした人たちが残念にも
「戦争反対!」「徴兵制に反対!」とかやってしまう。
メディアコントロールすごいな。


アメリカも2016年度の軍事費予算案を、
日本の安全保障関連法案の法制化を前提に
組んでいるということを受けて、
山本議員も「アメリカのATMをいつまで続けるんだ」と反論し、
経団連との癒着を指摘、反対派として頑張っています。
今回は前回の原発問題の時よりも
だいぶ勉強もされて頑張ってるなと感じます。
国会答弁や日曜討論など露出された際の意見の言い方が
正直ウザいけど、
彼の主張には耳を傾けたくなる。
確かに原発を攻撃された際の被害値計算など、
そういった点のフォローが足りないのは国の在り方もいただけない。


高校生も「自分で考え行動しようと思った」とコメントし
参加するのは良いけど、
参加するかどうかを考える前に、
もっと考えるべきことは別にあったんだろうなと私は思ってしまいます。
他の投稿で、デモへの参加経験は就職に響くのか!?的な
議論がありましたが、
それは相手の立場に立てば分かるだろうと。
面接官や企業サイドが月20万払って雇おうとしている、
一度雇った正社員はすぐには解雇できない、
色々なリスクを回避しつつも優秀な人材を掘り出したいと思うなら、
デモに参加することがどれくらいリスクかは自分で計算するといい。
デモを武器にできるかどうかは学力次第。


ただ、こういった小規模デモでも、国民の大事な声。
予想された反論デモであろうが、
メディアでもSNSでも拡散されているので、
きっと届くと思います。
このクソ暑い中でさぞキツかったことでしょう。
それでも立ち上がった青少年たちのエネルギーが、
良い方向に国を動かしてくれることを願います。


2014年8月31日日曜日

進撃の安倍首相!?

劇場版「進撃の巨人」、原作無視で批判殺到!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7433.html


映画『進撃の巨人』が散々な言われようです。
私も先日観に行きましたが、
確かにこれは酷いかなと感じました。


ただ勿論、一生懸命作った作品を
馬鹿にされればムカつくのは分かります。
感情的になるのも無理はありません。
が、そもそもここまでの炎上を
想定できていなかったこと自体がおかしいことです。


ここまで徹底的に原作を無視した設定、
ハンジを出すのにリヴァイやエルヴィンは出さない等のアンバランス感、
半端なCG技術で望んだ点、
時代や人種の多様性を全て日本人でやってしまった違和感など、
これらが反発を招かないわけがないわけです。
誰だってこれは不満。


毎回誰もが思うのは、
原作が人気の漫画を中途半端な気持ちで実写化しちゃダメだってこと。
おそらく軽い気持ちで作ってると思うんですよね。
実写化されるだけで皆喜ぶぞ、と。
映画の売り上げも期待できるぞ、と。


ただ、今回のようなCGと実写のつなぎ合わせが全ての作品は
技術力で語れなければアウト。
技術力はまだまだ日本は未熟で、
明確にハリウッドとの比較を促してしまうのは火を見るより明かです。
それでもやるのに、
作る側に配慮が足りずに毎回批判が相次ぐのは
分かりきった展開なはずなんです。


ましてや、ここまで別物を作っておいて
炎上覚悟で作ってない辺りが、
ちょっと感覚がズレてるとしか言いようがありません。
作るべきではなかったですね。


私も含めてツイッター等で文句や批判が殺到するのは
分かっていたのだから、
こういった反応には無視をするか、
誠意を持って対応するべきでしょう。


そう考えると、デモが頻発して支持率を下げたり、
SNS等で批判が殺到している安倍首相が、
全くブレずに政務に当たり続けているというのが、
やっぱり凄いことなんだなと思います。
メンタル半端ねぇ(汗)


どちらかと言えば、映画『進撃の巨人』よりも
安倍首相の方が進撃してるんじゃないかと思っちゃったりしてw
まぁ〜映画はプロダクト評価ですから、
今回はスタッフの方々もキツかったですね〜(> <)

2014年8月28日木曜日

人は自分の信じたいものを信じたいだけ

※毒舌あるので注意して読んで下さい。
 てか、読まないで下さい(汗)


こんな日に言うのもなんですが、
人はどこまで行っても怒りや憎しみを棄てられない生き物です。
大切なものを守ろうとする思いがすれ違い、
争いや戦争を起こさないではいられない矛盾に満ちた生き物です。
だって大人は皆自分のことが正しいと思ってるから(by ドラえもん)


デモやってる人たちが良い例です。
あれが全てを物語っている。


正規の手続き通りにやってるだけなのに、
ちょっと荒れた採決場面を見せられて、
メディアで「強行採決!」と見出しをつけられるだけで
すぐ影響受けて「あれはアカンやつや!」と思い込めてしまう。
全然「強行」でも何でもないのに、
意味もよく知らずに「民主主義への侮辱だ」「立憲主義の崩壊だ」と騒ぐ。
定義ちゃんと分かってますか?
結構深いっすよ??(汗)


でも、そう思っちゃった時点で、もう引けない。
「戦争反対」「戦争法案撤回しろ」しか言えなくなる。
じゃあどうやって国を守るんですか??


筋肉むきむきのお兄さんとか、
めっちゃ人相悪いお兄さんとか、
絶対銃隠し持ってそうなお兄さんとか、
格闘技に堪能なお兄さんとか、
そういう人たち相手に「争いはやめましょうね」って言いながら
手ぶらで行くんですよね。
私はそれで対等に相手してもらえるとは思わないんですけど、
反対している人たちは「信じれば夢は叶う」と言う。
こっちが戦う気を起こさなければ相手も何もしてこないと思ってしまう。


中国が南シナ海に何か作って、
中東地域からの石油石炭液化天然ガス等のシーレーンが分断、
エネルギー資源が日本に届かなくなって生活が著しく侵害されても、
文句を言ったりアメリカに頼めば誰かが何とかしてくれると思ってしまう。
「遺憾である」と政府が繰り返しても、
たぶんどうにもなりません。
話が通じる相手ではないです、中国はきっと。


ま、それも中国の本当の姿かは分かりませんが。


でもそれなりに中国はロシアやアメリカが
仲良くしておきたいと思えるカードを持ってるから、
対等に張り合えるんです。
韓国が日本を挑発するようなことばっかり発言するのも、
彼らは徴兵制や軍隊を文化として持っているからです。


アメリカはもともと戦争を多くしてきた国だけど、
アメリカ人だって戦争したくない人が兵士として戦ってます。
中には亡くなる方だっています。
戦地から無事に帰ってくれば家族だって涙を流して喜び、
戦地に向かえば心引き裂かれる思いで待つ事になる。
私たちと同じ人間です。
そのことを忘れている。


日米安全保障条約があるから、
日本はアメリカに守ってもらえばいい?
自分たちはゴメンけどやっぱ戦争したくないんで、
戦地には皆さんが行って下さい。
でも危なくなったら守って下さい。
その時は何もお手伝いはできませんが。
だって憲法でそう決まってますし。。。


誰がそんな国民を守りたいと思うんでしょうか。
他人ですよ、アメリカ国民からしたら日本人は。
逆の立場からもっと考える方が私はいいと思うんです。


そもそも安全保障について真摯に受け止め真剣に考えることと、
戦争をするかどうかってことは全く話が別なのに、
思考が停止しているからすぐに直結させて考える。
思考を使えない人たちがデモで身体動かして
「俺たち国のために頑張ってる!」と清々しい気持ちになる。


ま、確かに頑張ってますけども。。。


ただそう言う反面、
こういうデモが起こるっていう国民の政治に対する
本気さってのも大事だとは思います。
おとなしく黙ったまんまじゃ、
それはそれでダメだと思うんです。
が、何をどう言うかです、問題は。


理想を言うのは簡単です。
誰でも言えます。
戦争をなくすことだって簡単でしょう。
傾聴の姿勢と共感を意識するだけで済むからです。


試験で点数を取るのだって簡単です。
どんどん答えを覚えて、
復習がてら解く練習をすればいいだけです。
細かい方法論は二の次で、
要はやるべきことをしっかりやればいいだけですから、
90日で50点伸ばすことだって普通にできます。
言った通りにやってくれれば。


でも、結局は政治も勉強も同じです。
人は自分の信じたいものを信じたいだけなんです。
自分のやりたいようにやりたいだけで、
それが本当の意味で正しいかどうかってことは二の次なんです。
大事なのは自己満足。


例えば私からすれば、
憲法第9条は平和憲法の象徴だとは全く思わないし、
マッカーサーから押し付けられた首輪だとすら思っています。
だから「平和憲法を守ってきた日本人をノーベル平和賞に!」
っていう話題が挙った時は「???」と思ったものでした。
弱くて戦争に混ぜてもらえなかっただけじゃないですか。
戦争に巻き込まれなかった!憲法第9条に守られた!
モノは言いようですね。
あなたは戦えないからお金出してって
言われて済ませてきただけでしょう。
それも確かに平和と言えば平和、でしょうね。


『戦後まもなく新内閣になった頃、
 幣原首相がマッカーサーに
「各国が戦争放棄をすれば、平和になるのでしょうね」と発言したとき、
 マッカーサーが目を潤ませて両手で握手をしてきた』
という背景をご存知の方は、
この事実をもって「憲法第9条は無理矢理押し付けられたものではない」
と結論付けるかも知れませんし、
それはもう自由です。


歴史認識、いえ、認識の全ては主観的な解釈の世界です。
同じ事実を知っていても、
そこにどんな意味を見いだすかは人それぞれなんです。
人は自分の信じたいように信じたいだけで、
別に論破されることも望まないし、
それ以外の答えを「正しい!」と言われたくもないんです。


テーゼがアンチテーゼと融合し、
アウフヘーベンの結果ジンテーゼに至るという理想的な観念力学は、
お互いが傾聴と共感を意識していること、
そしてお互いの知識レベルが同等であること、
思いが同程度であることなどを前提とします。
逆にそれができれば平和にしかならない。
「へ〜そういう見方もあるんですね〜」でいいじゃん。
それを「あなたは間違ってる!」
「あなたの認識はおかしい!」とやるから喧嘩になる。
たとえ片方が傾聴と共感を示しても、
相手がそうでないのなら、
結局前者も傾聴と共感を活かせない。


そして、ほとんどの人が異論を楽しめないんですね。
私もそう見られているかも知れませんが(汗)
私は結構異論は聞きたい方なんですけど、
前提を満たしてくれる人が思いのほか少ないのが悩みの種です(汗)


でも、私がこうやって沢山の本を読み、
ネットでも情報を集め、考えて発言するのは、
結局は自己満足です。
誰かの考えを正したいという思いでやっても
意味がないのは十分分かっているし、
そんなことをしようものならすぐに喧嘩になるだけです。
だから自分なりの真理を追い求めるだけです。
そして何かしらの機会があって、
私の話を聴きたいという人がいるとか、
教えている生徒への情報提供として活きたらいいなと思うくらいです。
押し付ける気は毛頭ありません。
勝手に勉強しているだけです。


私は本日図書館で戦争当時の広島や長崎、東京の写真を見てきました。
あんなことは二度と繰り返したくないし、
戦争なんて絶対やってはいかんと思います。
何より恐いし。
本当にこんなことが過去に起きたんだなと信じられないほど、
70年前は凄い事が起きていたのです。
あんな悲惨なことになりたくない。


でも、悲惨なことになりたくなければ、
ぶーぶー言ってないで、
自分は自分で準備するしかなくないですか?
戦争はしたくないですよ、誰だって。
でも何かあるリスクは0には絶対ならないわけです。
だったら起きるか起きないかは別にして、
起きても良い準備をしておくべきでしょう。
そしてそれを国レベルで考え決断し行動に移さなければならないのが
安倍晋三首相です。


キリスト教系の大学がこぞって安保法案法制化への反対表明をしてますけど、
ああいうこともすべきじゃない。
そこにいる職員、生徒たち一人ひとりは自分で考えて答えを出すべきだ。
学校長(理事長??)の見解を
学校の総意として表明するのは教育機関の行為として理解できません。


とにかく、めちゃくちゃ長くなりましたが、
戦争はしたくないという思いは強く持ち、
そのために自分のできる限りの努力をしておきたいと思います。
もし最後までお読み下さった方がいらっしゃったら、
本当に嬉しいです。
ありがとうございました。

2014年8月25日月曜日

18発の原爆

暑い!
今日の熊本もめっちゃ暑い!
のに、こういう日に限って歩き通しになるというね(汗)


写真は一昨年の玉名花火大会の様子です。
今年は行けないかな〜(> <)


先日8月6日は広島の日。
ウラン型原爆”リトルボーイ”が投下された日です。
そして8月9日は長崎の日。
プルトニウム型原爆”ファットマン”が投下されました。


当時この原爆投下計画にゴーサインを出した
アメリカの大統領は第33代のハリー・S・トルーマン。
終戦の年の4月に急死した、
それまで指揮を執っていた第32代大統領
フランクリン・ルーズヴェルトの後を任された人物です。


実は1995年ワシントンポストにあるスクープが掲載されていました。
そこには、広島と長崎以外にも9、10、11月に3発ずつ、
12月に至っては7発の原爆投下計画があったとされ、
計18発の投下計画にトルーマンがゴーサインを出していたという内容でした。


これが日本壊滅を意図した承認だったのかは
明確になっていませんが、
実行されていたらどうなっていたかと思うと、
本当に恐ろしい計画だったことが伺えます。


本日10日。
あと5日ほどで終戦記念日を迎えます。
未来に生きる私たちは、あと5日で、
というのも分かりますが、
当時を生きた人々は、
いつ終わるか分からない戦争の中で暑い夏を過ごしたのだなと、
ふと考えてしまいました。
そして、その後の“戦後”という地獄の時間。


70年経って日本はここまで持ち直した。
あの時を生き抜いてくれた誰かのおかげで、
私は今を生きていられると感じます。
あの時代を力強く諦めずに生きた人たちの人生の上に、
今の私たちは生きている。


平和という言葉が、本当は何を意味するのか、
私にはまだ分かりませんが、
自分も自分の人生の過渡期を迎えて、
どう身を振るべきかを模索しています。


ごちゃごちゃ考え過ぎなんですけどね、ただ。


友人は
「前だけを向いて生きていければな〜」
と言ってましたが、
私は
「足下も見るし後ろも振り返るし、
前だけを見てたら気付けないことにも
しっかり意識を巡らせて生きる自分の生き方は嫌いじゃない」
と答えました。
実際めっちゃ面倒くさいんですけどね、
こういう性格は(笑)


でも、まぁ、自分が今どう生きるかってことが、
きっと自分の子どもだけじゃなく、
縁をいただけた色んな人に影響を与えるのだろうなと無駄に考えながら、
とにかく自分の人生を大事に生きようということだけは決めた最近でした。


戦後70年。
あの時を生きた方々もまだご存命の方もいらっしゃいますし、
移り行く価値観の中で見失わないでおきたいものと、
あえて手放していかねばならないものとをしっかり見定めながら、
時代のバトンを次の世代の平和に繋いでいけたらと思います。


2015年、夏。
熊本より決意表明。

2014年8月16日土曜日

事実は小説よりも奇なり

最近中国で大爆発がありましたね。
あれは実は宇宙からのミサイル攻撃だったのでは!?
というネタがありました。
少し前は、
現場近くの宿舎も吹っ飛んでいたから
被害者は5000名越えるのでは!?
というのもあったほど。
未だに何の工場で何が爆発したのか明かされていないし、
現場は軍が見張りをして報道規制を敷いています。


例えば以前マレーシア航空機が行方不明になったというのがありました。
あれは実はアメリカのサイバー攻撃で
飛行機がサイバージャックされて、
中国にそのまま落とすつもりだったものが、
いち早く中国に気付かれたことで不発に終わり、
南沙諸島のある島に降ろしたという説もささやかれていました。
危うく第三次世界大戦が始まっていたところです。


闇に葬られたSTAP細胞も、
今はイギリスかどこかで名前を変えたものが特許申請されて、
研究が継続されているという噂もあります。


これらを信じるかどうかというよりも、
これらも「十分あり得る」と考えていた方が
無難な世の中になっていると思うのです。
実際ドローンが大衆レベルまで浸透してきたということは、
もう目に見えないナノ・ドローンも
開発・実用レベルに達しているということなのでしょうし、
UFOの構造もドローン技術だった可能性もあります。
すでに軍事レベルでは次の段階に進んだということです。


最近私が一番ゾッとしたのは日米地位協定の実態。
勉強不足で最近まで全然知らなかったというのもお恥ずかしい限りですが、
あれがあるうちは日本はアメリカの属国でしかありません。
サンフランシスコ講和条約で日本は独立したと
教科書で書いてありましたが、
なんて事はない。
その日結んだ他の2つの条約(うち1つは密約)が
しっかり日本の首輪となっている。


ふと思って中学、高校の日本史の教科書を開くと、
ちゃんと日米行政協定(後に日米地位協定に改訂)が載っていました。
でもほんの1行2行です。
こんな大事な密約がちゃんと教科書に載っていることも凄いですが、
それが1行2行でさらっと書いてあるのも凄いなと(汗)
てか、自分がどれだけ中高時代適当な勉強しかしてこなかったかってことです。
もっと踏み込んで調べるだけの意欲があれば、
今の私はもっと大事なことに気付けていたはず。


このことを考えたときに、
反対デモをしている人たちはきっとこの密約のことを知っているから、
あれだけ強硬な反対デモをされているんだ!
と思っていたのですが、
それはそれで違うみたいです(汗)


沖縄には普天間問題があるので、
この協定について知っている方も多いことと思いますが、
どうしてあんなに普天間問題が先に進まないのか、
どうして原子力発電所がこんなに日本に造られたのか、
どうして安倍さんはアメリカで勝手に公約しちゃったのか、
そういう色んなことが一気に繋がった感じがしました。


ちなみに安倍首相の祖父、岸信介首相は
1960年に新日米安全保障条約を締結するのに際し、
強行採決を行い安保闘争を引き起こしてしまいました。
正にこのとき、日米行政協定は日米地位協定に変わりましたが、
こういった密約内容も含めた反発だったのでしょうか。
そして今、SEALDsやママさんたちを始め
多くの方々がデモを通して声をあげています。
歴史は繰り返す、のでしょうか。


もし歴史が繰り返すのなら、
あの当時アイゼンハウワー大統領も
来日を延期したほどのエネルギーが日本を守ったのか、
それ以来55年間は、
日本は大きな戦争に巻き込まれることなく過ごせたわけですから、
そのような歴史も含めて繰り返されて欲しいと思います。


それにしても、私の認識している世界は、
きっと学校の教科書に毛が生えた程度のものなのでしょうね。
きっと想定外のことがものすごい勢いで進んでいるのだと思います。
正に事実は小説よりも奇なり。
「え!?こんなことが起きてしまうものなの!!??」
とならないよう、
今のうちからあらゆる知識をしっかり吸収して備えようと思います。


毎度、長文失礼します。。。

歴史を知るということ

今週末はハワイ、ではなくて沖縄に行ってきます。
去年から考えていた旅行です。
友人がカナダに留学したメンバーで集まれたらと
企画してくれたのですが、
結局人数が集まらなくて現地に住んでいる友人と
2人フリープランで楽しんでくることになりました。


2人だからこそ自由が利くということで
私のワガママを聴いてもらって
今回は首里城や普天間基地などを巡りたいと伝えました。
まるで修学旅行ですね(笑)


さらにせっかくなので冒険的にしようと、
今回はなんとホテルを取らずにキャンプという!
キャンプなんて初めてなんで、
アウトドア的な感じにかなりテンション上がっています☆


勿論旅行前には琉球の歴史と
普天間基地の問題について自分なりに調べてから向かうつもりです。


今日は早速沖縄の歴史を調べていますが、
やはり歴史を知る事で今が見えてくる部分が大きいですね。
若干「知らなければ良かったかも(汗)」と
思える歴史もはらんでいるのが沖縄の難しいところです。


例えば、琉球という国はいわば
日本の最初の植民地みたいな歴史があります。
1609年に薩摩に占領されてからは
貿易の権益を奪われて冨を横取りされてしまうのです。


琉球の貿易益によって薩摩は強大になり、
明治新政府の一翼を担うようになります。


もともと中国と冊封関係にあり、
いわば中国の属国的な関係でしたが、
当時の中国は生産力がかなりあったので、
内政干渉をしないという寛大な支配体制でした。
琉球の人もそれは喜んでいた。


それを薩摩に邪魔された挙げ句、
新政府からは中国との関係解消を強制されます。
結果日本は中国との関係を悪化させることになるわけですが、
それが1904年の日清戦争までもつれ込み、
結果的には勝ったので日本の主権は認められましたが、
今でも一部は尖閣諸島の領有問題として残っています。


普天間基地の問題についても、
こういった歴史的背景も絡み合って
かなり今複雑化しているのが現状です。


今でさえ中国は南シナ海まで出張っており、
沖縄が欲しいところ。
アメリカとしては対アジアへの軍事拠点として
沖縄は手元に残しておきたい。
アメリカと日本と中国と、
そういったあらゆる国の都合で振り回される立場が
問題を見えにくくさせてしまっているようです。


でもこういったことをしっかり調べることで
より今回の旅行を深く味わうこともできますので、
背景はしっかり知って行こうと思います。


ちなみに前回沖縄に行ったのは高校の部活でのコンクールのため。
首里城だけには何とか行けましたが、
台風であんまり満喫できなかった気がします。
今回は天気に恵まれますように!

2014年8月14日木曜日

私たちの記憶は“ウソ”でできている!?



今日調べていたことのもう一つはピラミッドについて。
DVD『ピラミッド 5000年の嘘』を
早速帰りに借りて帰ろうかと(笑)


Youtubeで偶然予告編を観てから
一気に引き込まれました。
何に惹かれたのかというと
次のナレーションです。


「単なる偶然だと信じ込むことができても、
 その事実がなくなるわけではない」


現時点で分かっていることから
推測できる仮説が多くの賛同を得ると
それが「定説」とか「常識」と
呼ばれるようになります。


定説や常識と呼ばれるようになると、
もうそのことは解決済みかのように扱われる。
しかし、本当にそうでしょうか。


私たちの記憶は情報からできています。
情報は外から吸収されたものです。
それらをつなぎ合わせて、
自分の価値観と照らし合わせることで、
新たに生み出した情報もあるでしょう。


ただ、前提は外からの情報であり、
それらの情報が「現時点でのもの」なら、
大いに塗り替えられる可能性がある。


しかし私たちは
一度こうだと思ったことを
覆されることを好みません。
するとあまりに突飛な仮説が出されても
受け入れることができないのです。


それが高名な学者さんならなおさらですし、
常識を否定するようなことなら
誰しも顔を曇らせるでしょう。


人は「自分は正しい」と思うことで
自己防衛をすることができます。
意図してそうしようとすることもあるし、
無意識のうちにそうしてしまうこともある。


でも理屈で考えてみたら、
自分の知っている「常識」なんて
断片的かつ一部の情報で創られた記憶に過ぎません。
知らないことの方がはるかに多いはず。


16世紀のヨーロッパでは
ほとんど全ての人間が
「地球を中心に宇宙が回っているんだ」と
本気で思っていました。
でも事実は違いましたよね。


それは全然特別なことではなくて、
これからどんどん起こり得ることなんです。
知らなかったこと、想定していなかったことが
どんどん起こる。


その一つがこのピラミッドの謎なんです。


これまでの「定説」では説明できない事実が
実は沢山あるんです。
後はミッシングリンクを見つけ出せれば
決定的な証拠になるのですが
それがないから覆せないんですよね。


科学者は証拠を重視します。
何事も証拠があって初めて
信じる価値があるものと見なされる。
実績が信じる保証になるのと同じです。
でも、証拠がなくても
「定説」では説明できないことがある
という事実がなくならない以上、
それは「定説」を捨てる覚悟を
持つべき時なんだと思うんです。


証拠がないから信じない。
実績がないから信じない。
自分が傷つかないための防衛線。
ん?ミスチルの歌詞?(笑)
ただ、
それでは夢は持てないってことですもんね、理論上。


さっきのワンピースにしろ
このピラミッドのことにしろ、
本当に自分は何も知らないんだなと感じました。
何も知らずに生きていくことほど
危険なことはない。


でもそのことが
確実に勉強へのモチベーションを上げてくれました。


もっとモノを知らなければならない。
もっと勉強しなければ真理に辿りつけない。


真理に辿り着くためにも、
自分で新たな真理を発掘するためにも、
今以上に勉強に励まなくてはならない。
知れば知るほど見えてくる。
そう腑に落ちた今日です。



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熊本の学習塾『ブレイクスルー・アカデミー』
自習室『L&S』
http://lscbta.com/
Tel 096-322-6668
Mail ihavewhatihavetodo@gmail.com
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Welcome 現実逃避



今日も元気に現実逃避してます(笑)
と言えば語弊があるんですが、
もうすぐ勉強モードに切り替わる予感です。


今日も色々と調べ物をしていたついでに
またワンピースに関するネタ集め。


でも分かったのは全く別のもの。
尾田さんの勉強の猛烈さです。


漫画って絵も大事ですが
読者を引き込むのは
やっぱりストーリーの深さでしょう。


深さはどこから来るのか。
それは知識の豊富さ。


海賊モノだからと言って
海賊のことだけ知っていればいいわけではなく、
その周辺知識というか、
他のことも沢山知ってないと
面白いネタは書けません。


しかしこの尾田さんの周辺知識の広さは
相当広い(汗)
一体どのタイミングから構想があったのか。
後から後からストーリーが繋がって
どんどん面白くなっていきます。


キャラ設定からネーミング、
ファッションセンスに料理、
歴史、政治、外国語、宗教などなど。
調べれば調べるほど
その背景の広さ深さに感心します。


知的好奇心がくすぐられるからこそ
この大事な時期に取り組むべき課題と
思えたのかも知れません。
もう一時我慢しますがw


またヒマになったらもっと本格的な
研究に入ろうと思います。
本気でワンピース極めたいw
でも、ワンピース極めるだけでも
かなり雑学が吸収できそうです。
本にもできそうなくらい。


本来はこんな風に
何かを知りたい探究したいという行為が
「勉強」を意味していたはずです。
いつからか本質が失われてしまった。
おそらく学制発布の頃からでしょう。


だからこそ、本来の勉強の原理原則に立ち戻り
もっと気楽に、もっと効率的な勉強をすれば
誰だって優秀になれるんです。
別に優秀になることが全てじゃないですよ?
でも成績が云々で悩んでること自体が
実はナンセンスなことなんだって気付いてもらうと
勉強に苦労しなくて済むかなと思います。


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2つの回路



ここ数日刺激的な経験が続いています。



数年ぶりに県劇の舞台で歌い、
初めてバレエの観賞をしました。



新しいビジネスプランのご提案をいただき、
自習室の利用者さまもいらして、
以前塾に見学に来られた方とも再会。



かつての塾生が久しぶりに来校してくれ、
当時の杭(悔い)を抜くこともできました。



刺激は脳にとって必要な栄養分です。
脳はその性質上刺激を避けようとする半面、
刺激を求めてもいます。
問題はそのバランスなのです。



脳はすごく複雑でありシンプルです。
全てを司り結果の根本的な原因になります。
でも、あまりに自然にありすぎて
その重要性を忘れられる存在でもあります。



そんな脳には、大枠で言えば2つの回路があります。
「感情の回路」と「思考の回路」です。
このダブル・サーキットを上手く活用して
最高のパフォーマンスに繋げることが重要です。



どちらかだけを回し続けても
へばってしまいます。
得られる結果も中途半端です。
完璧を目指すには
この2つをフル回転させる必要があるのです。



ただし、この2つは同時には回りません。
1度に回せるのは1つのみ。
感情が優位に立てば思考はうまくできず、
思考している間は感情は控えめです。



ただし、人間の性質上脳は刺激に対して
「感情の回路」にすぐスイッチを入れたがります。
自動的にオンになってしまうのです。



逆に「思考の回路」は意識しなければ
スイッチを入れることはできません。
また、自分の意志で拡張できるというのも
「思考の回路」だけです。



自動的にオンになる「感情の回路」は
放っておいても回るため、
こちらの回路ばかり使うようになってしまうと、
「思考の回路」へのスイッチの入れ方を
忘れてしまいます。



むしろ、回したい時になっても
回路そのものが活用に足らなかったり、
スイッチを入れることすら億劫になる。



人間は「感じる」と「考える」のバランスが重要です。
感じるばかりの「反応型」は
外的要素に振り回されるだけになってしまいます。



常に考える習慣を持ち
「思考の回路」を好きな時に十分活用できるよう
準備しておきましょう。


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