2014年11月23日日曜日

平等と公平

先日、生徒の通う学校では
30度を越えないとクーラーが点かない
という話を聞きました。
「うわ〜それはキツいね〜」
と思った後にこんな提案をしました。


それってパーソナル扇風機とか
持ってっちゃダメかねぇ。
電池で動くタイプのやつだったら
電気代を自分で負担するんだから
良さそうだけどなぁ、と。


勿論、音の問題もありますし、
それこそ家庭の状況で
持ってきたくても持っていけない
という人も出てくるでしょうから
教育上難しいのかも知れませんが、
別にそこまでおかしい提案では
ないのではないでしょうか。


少なくても体を壊すよりマシですし、
むしろ30度までの間にある時は
とても勉強する環境ではないでしょう。
学校という教育機関にあっては
本末転倒な状態にあります。


そこで話を戻すと、
そういう風にすれば
平等な扱いなんじゃないかと
私は思ったのですが、
そこである医学部のアルバイトさんが
「それはたぶん“公平”の方が
 適した言い方かと思います」
と指摘してくれました。


おー、そういえばそうか、と。


ちょっとニュアンスの違いが難しいですが、
この「平等」と「公平」とは
認識の上でしっかり分けて捉えておく方が
良いでしょう。


例えば、学校で行われている勉強のやらせ方は
平等なものです。
同じテキスト、同じ授業、同じカリキュラム。
全ての生徒に同じ環境を提供し、
同じ対応を心がけているので
確かに平等です。


しかし、教育的に言えば、
子どもたちの勉強に関して必要なのは
平等な環境ではなく「公平」な機会です。


それは、次のテストで英語の点数を伸ばしたい生徒は
英語に比重を置いた勉強を、
志望校が難関大なら、
センターよりも二次試験に向けた
対策メインの勉強をさせてあげられることが
公平性を確保された学習機会と言えます。


勿論、時間の配分だけでなく、
使うテキストから勉強する場所、
受ける授業の取捨選択まで
自分の欲しい成果に合わせて
自身でセレクトできるのが
最も求められる状況ではないでしょうか。


先生はそのバランスを観察し、
アドバイスするアドバイザーです。
もう上から目線でものを教える
「先生」というフレーズも
手放す時期なのかも知れません。


今文部科学省はじめ日本全体が
平等な教育機会とか、
教育の機会均等などと訴えていますが、
違います。
必要なのは「公平性」です。
それができないから
無意味な勉強に終始し、
世の中も知らないまま
英数国社理の知識だけが豊富な
昔のコンピュータみたいな
人間が育つのです。


学校で習っていることなんて、
もうスマホやタブレットで
すぐに検索して終わりです。


先日冨山和彦氏のL型大学G型大学の提唱で
賛否両論を繰り広げたという話題がありましたが、
もう横並び教育をやめて
現状に照らして抜本的に改革せねば
本当にヤバい状況にあると
認識すべきなのです。


いつまでも旧態依然とした
知識偏重、学歴重視の勉強などしていないで、
もっと本質に基づいた、
もっと人生を有意義に過ごすにはという
重大な大目的のための勉強に
意識をシフトするべき時期なのです。
それも、日本の教育界が迷走している今
自分個人で考え独自の道を
歩んでいかねばなりません。


勉強の仕組みそのものは
すぐに変わるものではないでしょう。
だからこそ、同じことをさせられるなら、
意識だけでも変えて
より自分の10年後に活きるカタチで
勉強に取り組まねばならないのです。


知識なんて何の意味もありません。
これは生徒たちにいつも言っています。
今は知識をどう効率的に取り込み、
その知識をどう活用できるか
というもう一歩上の発想が
求められています。


これを構造的にどう教えていくか、
という教育改革の仕組み作りに
文部科学省は四苦八苦しているのです。
これが早くて2020年施行。


しかし、この新しい教育システムが
本当の意味で落ち着きを見せるには
さらに10年〜20年かかると見られています。


そんなに待てますか?
もうその頃には今の子どもたちは
いい歳になっています。
大人になってから後悔させますか?
あの時もっと考えておくべきだった!
もうそのときには遅いのです。


不安にさせてすみません。
でも、重要な問題です。
時代はどんどん変わっていくのに、
ずっと変わらないのが日本の教育です。
何も考えずにぼーっとしてれば、
そのままみんな一緒にトロッコに乗って、
先のない古びた線路を
落ちるまで走り続けることになります。
その前に、
トロッコから降りて
自分の足で歩く勇気と覚悟を持って下さい、
持たせて下さい。


平等と公平の違い、
是非ご記憶下さいますよう。