私の信奉する脳機能学者
苫米地英人さんの著作から得た発想を
基にしています。
よく「自信を持ちなさい」という言葉を
使いますよね。
スポーツにしても勉強にしても
何かしらの挑戦において
励ます意味での常套句のようなものです。
しかし、私は以前も申し上げた通り、
「信じる」という言葉が好きではありません。
それは多少の疑いが含まれているからです。
自分を信じることと、
自信を持つことも
私的にはニュアンスが違うフレーズです。
では、そもそも「自信を持つ」とは
どういうことなのでしょうか。
私たちの日本語というのは
とかく曖昧です。
分かった気になっていますが、
実際実は分かっていませんでした、
というパターンも非常に多くなる言語です。
「自信を持つ」と一言で言っても、
一体何に自信を持っているのでしょうか。
自分にでしょ?
と思っている方が多いのではないかと思うのですが、
要するに、自分の「何」に自信を持つのか、
自信の根拠をどこに置くのかということです。
自信を持つ根拠になるものとしては
大きく分けて2種類あります。
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①自分の過去の実績
②自分の可能性
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もし「今までもできたのだから今回もできるよ!」
「練習でできたんだから、本番だってできるさ!」
という自信の持ち方ならば、
それは過去の実績を根拠にしているということです。
①ですね。
しかし、考えてみるとおかしな話で、
「過去にできた」ということと、
「今回できる」ということとの間には
因果関係がないのです。
それぞれが独立した単独事象であって、
確かに相関関係はあるかも知れませんが、
事実直結した要素は何一つありません。
つまり、苫米地さんが言うには、
過去にできたにせよできなかったにせよ、
それを根拠に「今回もできる」と考えるのは
論理的におかしいというのです。
また、過去の延長線上に自分を置いて
捉えている時点で、
ブレイクスルーができにくい状況に
自分を置いてしまっていると言います。
そこで、自信の持ち方を②にすると
どうなるでしょうか。
過去の実績が全くない人が
「俺は絶対東大行くぜ!」
「私は次のテストで90点目指すわ!」
と息巻いたら、
おそらく信じてもらえないでしょう。
「根拠のない自信」だと揶揄されるわけです。
これは「自信を持つ」とは
異質なこととして扱われる傾向にあります。
自信を持つのは良いが、
根拠のある自信を示せというわけですね。
しかし、先ほど述べた通り、
過去の実績自体は自信の根拠としては
あまりに希薄です。
根拠足り得ません。
そして、そのことを内心分かっているから、
自信を持とうとしても揺らぐのです。
こうして考えて行くと、
実は自信を持つことは
理論上成り立たないことになってしまいます。
そこで苫米地さんは何を提案しているかというと、
「自信を持つ」をやめて
エフィカシーを上げることを考えて下さい、
と言っているわけです。
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エフィカシー。
自己の目標達成能力における評価です。
要するに、
自分はその目標を達成できるだけの
能力を十分に持っている、
という認識のことです。
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これは先ほどの②、
根拠のない自信に相当するものです。
そもそも根拠のある自信など
論理的に成立しないものなので、
②しかできないというわけです。
そしてそれは、自信を持つことは違い、
エフィカシーを上げること、
自己の能力(可能性)への高い評価を持つことです。
このように、「自信を持て」という
中身があって無いようなフレーズを使うのを
そろそろやめて、
自己評価を高める意識作りを
これからしていくのはいかがでしょうか?
一回一回がぶっつけ本番。
頼れるのは過去ではなく今の自分。
時間軸に囚われない「自分」への評価で
是非素晴らしい成果を残して行って下さい。


