2014年11月19日水曜日

「自信を持て」をやめなさい

今回お話するのは
私の信奉する脳機能学者
苫米地英人さんの著作から得た発想を
基にしています。


よく「自信を持ちなさい」という言葉を
使いますよね。
スポーツにしても勉強にしても
何かしらの挑戦において
励ます意味での常套句のようなものです。


しかし、私は以前も申し上げた通り、
「信じる」という言葉が好きではありません。
それは多少の疑いが含まれているからです。


自分を信じることと、
自信を持つことも
私的にはニュアンスが違うフレーズです。


では、そもそも「自信を持つ」とは
どういうことなのでしょうか。


私たちの日本語というのは
とかく曖昧です。
分かった気になっていますが、
実際実は分かっていませんでした、
というパターンも非常に多くなる言語です。


「自信を持つ」と一言で言っても、
一体何に自信を持っているのでしょうか。


自分にでしょ?
と思っている方が多いのではないかと思うのですが、
要するに、自分の「何」に自信を持つのか、
自信の根拠をどこに置くのかということです。


自信を持つ根拠になるものとしては
大きく分けて2種類あります。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
①自分の過去の実績
②自分の可能性
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


もし「今までもできたのだから今回もできるよ!」
「練習でできたんだから、本番だってできるさ!」
という自信の持ち方ならば、
それは過去の実績を根拠にしているということです。
①ですね。


しかし、考えてみるとおかしな話で、
「過去にできた」ということと、
「今回できる」ということとの間には
因果関係がないのです。
それぞれが独立した単独事象であって、
確かに相関関係はあるかも知れませんが、
事実直結した要素は何一つありません。


つまり、苫米地さんが言うには、
過去にできたにせよできなかったにせよ、
それを根拠に「今回もできる」と考えるのは
論理的におかしいというのです。


また、過去の延長線上に自分を置いて
捉えている時点で、
ブレイクスルーができにくい状況に
自分を置いてしまっていると言います。


そこで、自信の持ち方を②にすると
どうなるでしょうか。


過去の実績が全くない人が
「俺は絶対東大行くぜ!」
「私は次のテストで90点目指すわ!」
と息巻いたら、
おそらく信じてもらえないでしょう。
「根拠のない自信」だと揶揄されるわけです。


これは「自信を持つ」とは
異質なこととして扱われる傾向にあります。
自信を持つのは良いが、
根拠のある自信を示せというわけですね。


しかし、先ほど述べた通り、
過去の実績自体は自信の根拠としては
あまりに希薄です。
根拠足り得ません。
そして、そのことを内心分かっているから、
自信を持とうとしても揺らぐのです。


こうして考えて行くと、
実は自信を持つことは
理論上成り立たないことになってしまいます。


そこで苫米地さんは何を提案しているかというと、
「自信を持つ」をやめて
エフィカシーを上げることを考えて下さい、
と言っているわけです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
エフィカシー。
自己の目標達成能力における評価です。
要するに、
自分はその目標を達成できるだけの
能力を十分に持っている、
という認識のことです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


これは先ほどの②、
根拠のない自信に相当するものです。
そもそも根拠のある自信など
論理的に成立しないものなので、
②しかできないというわけです。


そしてそれは、自信を持つことは違い、
エフィカシーを上げること、
自己の能力(可能性)への高い評価を持つことです。


このように、「自信を持て」という
中身があって無いようなフレーズを使うのを
そろそろやめて、
自己評価を高める意識作りを
これからしていくのはいかがでしょうか?


一回一回がぶっつけ本番。
頼れるのは過去ではなく今の自分。
時間軸に囚われない「自分」への評価で
是非素晴らしい成果を残して行って下さい。