2014年11月11日火曜日

学校制度崩壊の序曲か

※毒舌注意

「フリースクールなど義務教育に」訴え
(NHKニュースwebより)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150617/k10010117111000.html

学校以外も義務教育と見なせるようにするか否かの
重要な議論が行われています。
これはものすごく意義深いものだと思います。


学校という組織のあり方自体が
とっくに限界を来しているのは、
以前から申し上げている通りです。
学校に行かなければ学べないことなど
実は何もありません。


よくコミュニケーション能力や
社会性をもって
学校の必要性を叫ぶ方もいますが、
学校にしか人がいないという
前提のように聞こえてしまいます。
そんなはずはない。
そんなものはどこでも学べます。


むしろ、学校という閉鎖された
特異な環境の中で
何年も過ごすことで
コミュニケーション能力や
社会性が偏ったものとして
定着してしまう方が問題です。


日頃生徒達に指導する中でも
学校が子どもたちに与えている影響が
特に良いものばかりとは限らず、
むしろ学校さえなければ
もっといい子になれるのに
もどかしい思いこそあります。


学校が今社会に果たしている役割は
一体何なのでしょうか。
もし義務教育と言うのなら、
そこには責任が伴うわけですが、
学校という教育機関が
一体何の責任を果たしているのでしょうか。


生徒を型にはめて、
規則で縛り付けて、
人生の意義を教えることよりも
知識の詰め込みの場と化し、
小中高大というレールの上の世界しか知らない
視野も経験も狭い教師に教わり、
勉強も社会性も中途半端で
将来への目的も目標も持てないまま
時間だけを浪費させるような学校が
多いと思うのです。


そんな世界が嫌でなじめない子を
「不登校」という言葉で問題児扱いし、
授業についていけない子を「落ちこぼれ」、
授業が簡単すぎて退屈する子を「吹きこぼれ」と称し、
学校中心の発想によって
いかにも彼らが悪いように言う世の中です。


日本の教育が内包するあらゆる問題を
彼らに押し付けているようで
なんだか気持ちが悪い感じがします。


先日ブログでご紹介したドイツの教育システム、
マイスター制度とデュアルシステムや、
アメリカでなじみのあるホームティーチャー制度などを
併用させるカタチで
もっと子どもたち本来の能力を
失わせない仕組みを確立するべきでしょう。


L型G型大学の構想もありましたが、
大学から分けても遅いと思います。


それから、日本が義務教育という発想自体残すなら、
どんな能力をどの水準まで子どもたちに習得させるのか、
そのラインを決めておくべきでしょう。


フリースクールもインターナショナルスクールも
あらゆる組織がありますが、
どこも良い環境ばかりではないはずです。
自宅で学習させるホームティーチャーにしても、
勉強以外の要素も含めて
義務教育を完了したことを何をもって判断するのか。


今ではパソコン一つでお金を稼げてしまう時代です。
コミュニケーション能力が本当に必須か
と言われるとそうでもありません。
勿論あるにこしたことはありませんが、
黙々と何かに取り組むことが得意
という子がいてもいい。
作品で何かを語りかける、
作品で人を感動させる人もいるでしょう。
音楽で人を幸せにできる人だっている。


だからこそ、そういった多様な社会で、
一体日本の教育を通して
どんな子どもたちに育ってほしいのか。
そこが全く不明瞭なのです。


教育基本法も立派なことは書いてあれど
単なる抽象論であって
全く実現性がない理想論です。
結局全部欲しいと言っているだけ。


トレンドに乗っかって
ミーハー的に英語教育に力を入れてみたり
プログラミング教育に力を入れてみたり
全く将来ビジョンがありません。
見境がない。


そこにあって今回の義務教育に関する
規制撤廃の可能性は
わずかな希望の光になるかも知れません。
おそらく学習塾業界でも
この流れを見据えて
勉強に特化した義務教育の場を売り出すでしょう。


しかし、一方で、
このような規制撤廃の裏には
必ず自由競争が待っています。
何も考えずに時間を過ごせば
社会に飛び立つ際に
もはや埋めきれない力の差ができている
なんてことも考えられます。


それに、学校の義務教育化がゆるめば、
逆に学校の権威が上昇する可能性もあります。
学校という教育機関が洗練されれば
今まで以上に目的化された環境になるはずです。
価値観がガラッと変わるでしょう。


とにかく、教育改革の流れの中で
今いろいろな変革が同時並行で議論され
動いています。
大事なのは、表面的な変更に流されることなく、
その先に何が待つのかを凝視することです。


全てを把握しきれる人はいません。
でも、自由とは厳しい世界です。
「考える力」が必要です。


今回の話は、決して弱者救済の流れではありません。
決して不登校の子たちが救われる、
学校以外の場で頑張る子たちが報われる
という話ではないのです。
「選択肢を拡げてあげるから、あとは自分で考えて行動してね」
というある種厳しい選択権の譲渡です。
義務教育の「義務」を国だけが持つあり方から、
教育を受けさせる義務を持つ親に渡し、
子どもたちの未来の責任を
一緒に持ちましょうというスタンスの変更です。


今後この議案が実行されれれば
日本の教育現場は間違いなく
ガラパゴス化していきます。
そこでどう明確なビジョンに向かって
子どもたちに“よりよい教育”をしてあげられるか。
私たち大人が
もっと考えなければなりませんね。