2015年4月11日土曜日
2015年3月5日木曜日
ブレイクスルー・アカデミーはなぜ成績を上げられるのか
ここでは「生徒」が中心です。こちら側があれこれ指示を出すよりも、生徒さんのニーズに併せて適切なアドバイスとサポートをしていくことを優先する場所です。
サービス内容を詳しくお知りになりたい方はこちらからご覧下さい。
2015年3月4日水曜日
ブレイクスルー・アカデミーの指導方針
国が教育改革を本格的に始めました。私は遅すぎると思います。ただ、それでもまだ塾に通って学歴ばかりをおいかける方がほとんどです。10年後、20年後の子どもたちのライバルは海外からの留学生やロボット、コンピュータだと言うのにです。
当アカデミーは、そこからの脱却を図ります。ここでは次世代に向けた指導を心掛けています。(詳細をお知りになりたい方はこちらから)
2015年2月27日金曜日
「考える前にまず調べる」も大事
日本は西洋列強に追いつけとばかりに
必死に知識を吸収することで
先進国になりました。
その名残もあってか、
だいぶ以前から日本人は
何かあるとすぐに答えを探すクセがあると
揶揄されたものです。
今でも日本の教育は知識偏重ですし、
受験は暗記大会。
憶えてなんぼの世界ですから、
「正解を探すクセ」がついても仕方ないでしょう。
ただ、どこかで自分の頭をフルに働かせて
オリジナルの何かを生みださねばならない
タイミングがやってきます。
いつまでもサル真似の
“イエローモンキー”ではいかんわけです。
しかしその一方で
「効率」という重要なポイントを無視できません。
特に勉強とか受験とかになると
他者との競争なので
悠長に最初から自分の頭で考えよう!では、
効率が悪すぎます。
要するに
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
TPOに基づくバランスの問題
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
なのです。
例えば先日、
生徒に小論文の質問を受けました。
「何からはじめたら良いのか分かりません」
というものでした。
勉強に関するほとんどの質問は
きっとこれでしょう。
しかし、本来こんなことは立ち止まる理由にはなりません。
聞けば済むからです。
成績不振の子というのは
すぐに「どうやって勉強していいか分からないんですよね~」
って言うんですが、
それは本音ではありません。
純粋に勉強したくないだけです。
なぜそう言い切れるのか。
勉強のやり方に関する本は
ごまんと売られているからです。
本屋に行けば100%見つかります。
要は
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「分からない」なら「調べればいい」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それだけなのです。
何をどうしていいか分からないから
成績が悪い子がたくさんいるというのは、
一つは教師の怠慢です。
学校行っててそんなこと言わせるってことは
勉強への取り組み方を
教えていないということだからです。
これは
「はい、このテキストやってこーい」
「間違えたら10回やり直しなさーい」
「ノートはこう使いなさーい」
といった低次元の話ではありません。
それは作業方法であって
勉強方法ではありません。
「そもそも勉強とはなんぞや?」
という問題です。
そして、分からない時は聞けば済む、
という当たり前のことを
しっかり教えてあげるべきなんです。
何でもかんでも自分で考えろ、
では上手くいきません。
今回の小論文の質問も、
私自身ガチで対策をしたことはなかったので、
図書館で小論文対策の本を2冊借りて
今読んでいます。
要は書き方と書く内容の深さを把握できれば、
あとは練習あるのみなんです。
難しいことはない。
書き方が分かって、何を書くか。
それだけなんです。
みんな難しく考えすぎていて、
調べる前から「分かりません」で止まる。
それくらい無思考状態になってしまっているのです。
また、ここには重要なことがもう1点あって、
気になった時に勉強するから
吸収率が高く忘れにくくなるという事実です。
この子の場合は
小論文の対策の仕方を知りたいと思いいたりました。
だからこの瞬間に自分で調べれば
身になります。
お前の志望校には小論文があるから
そろそろ勉強しておきなさい!
では、考える気にもならないでしょう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
気が向いた時に勉強するのが
一番効率的
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
なのです。
自分で考えることも大事です。
でもその前に調べること。
時間は有限です。
こういう時には
「あ、今の自分の頭の中には
この問題を解決する十分な情報がないや」
と“現時点での自分の限界”を把握することも重要です。
しかしそれはポテンシャル(可能性、能力)の限界に
蓋をすることでは決してありません。
今の自分にできることできないことは
絶対に意識しなければなりません。
そしてできないと思ったら
素直に情報を集めにいきましょう。
2015年2月25日水曜日
ハイパーリンク勉強法
逆に、強制されることで効率が著しく下がってしまいます。
できれば興味、関心、好奇心から始めたいものです。
さて、昨日私はこんなものを勉強しました。
・心理学
・瞑想法
・神道と日本神話
・経済
・化学元素と結合
・人体の構成要素
・仏教の「空」の概念
これらは一見すると
繋がりが見えにくいのですが、
実際には【ハイパーリンク勉強法】を使って
どんどん飛び飛びで勉強していった結果、
こうなってしまったという感じです。
ハイパーリンクとは、
ネットサーフィンをされている方は御存知かも知れません、
気になる語を検索し、
その解説の中にまた気になる語を見つけて
それを再度検索し、、、、
という具合に飛んで飛んで
数珠つなぎに調べていく勉強法です。
そうすると、
今私は自己分析と仕事分析をベースに
心理学系を中心とした読書をしているのですが、
瞑想法とかになると
そのベースに仏教の「空」の概念が入ってきたりします。
少し難しい話になってきますが、
ここに脳機能で言う情報場の話や
情報空間と物理空間の関連性が出てくると、
思念と人間の身体機能の因果関係が
話として入ってくるのです。
すると、話の例に放射能による内部被ばくの話が出てきて、
人間のDNAの話になってきました。
そこでDNAの構造内にある
電気的な塩基の連結を壊してしまうとあったので、
人体の構成要素とDNAの構造を調べ始めました。
DNAはチミン、シトシン、グアニン、アデニンという
4つの塩基の繋ぎ合わせですが、
ここに水素結合が出てきました。
また、それら4つも元素でできた物質なので、
じゃあということで元素図鑑を引っ張り出して
眺めていました。
経済に関しては毎日仕事のあとに
少しだけでも読んで帰るようにしているので、
習慣みたいなものです。
このように、生物とか化学とか、
経済とか宗教とか、
そういうくくりで分けられて体系化された授業を
受けさせられるよりも、
自分で気になった部分を
追求していく勉強が最も効率的なのです。
なので、もし勉強というものがイヤだという方がいるなら、
自分の好きなモノを何でもいいので
探究してみるといいかも知れません。
学校の成績なんて受験には関係ないし、
どうせ勉強しないでふらふらできる自由があるなら、
何かしら自分の興味あるもののために
学びを続けておきましょう。
すると気付いたら
意外と学校の内容が滑稽に思えてきますよ。
勉強ってこんな風にやればいいのにって。
2015年2月23日月曜日
成績を気にしすぎではありませんか?
皆さん学校に引っ張られすぎだと。
勿論成績は良いに越した事はありません。
が、皆さんが思っているほどの価値はありません。
自己満足のレベルです。
「あなたは高校時代どのくらいの成績でしたか?」
こんなことは就職の時には聞かれません。
「大学は東大です!いつも10位以内でした!」
面接官「英語は話せる?」
「いえ、少ししか。」
面接官「コンピュータが得意とか?」
「いえ、そんなことは」
面接官「中国語できたりは。。。?」
「いえ、話せません。」
面接官「そうですか、ありがとうございました」
そんな感じです。
学歴が意味なくなってきているのです。
何ができるか、それが重要です。
でも残念ながら、
今は社会不安からか益々視野が曇り、
学歴や企業規模で進路を選ぼうとします。
成績が悪いと不安になるというのも
その一つでしょう。
私も親になったら、
子どもにはしっかり勉強させようと思います。
しかしそれは学校の成績が云々とか、
学歴が云々とは全く異なる軸の話です。
それこそ今の子どもたちもそうですが、
どんなに目の前の主要五教科を頑張っても、
その知識は受験制度の関門を通る
ポイントを貯めているだけの話です。
同じ現役で大学に合格した人も
片や脇目もふらず勉強し、
片や効率的に勉強して遊び優先だったら、
二人の間にある社会経験は
明らかに後者の方が豊かでしょう。
面接官の立場で考えてみて下さい。
同じポイントならどちらの人材が欲しいか。
そうです。
もうその人の価値を
ポイント制で把握できない世の中なのです。
物理的に時間を割けば
誰でもできる受験暗記も、
その内容は128MBのチップに入るくらいの量ですし、
インストールすればものの数秒です。
脇目もふらず勉強すれば
自分がどれだけずれた努力の仕方をしてるか
そのことにも気付けません。
周りを常に見て、適度に遊び、
勉強は必要最低限で済ませて、
プラスアルファの勉強を自分で見つけてくる。
これからはこんな生徒が
これまで以上に求められてくるでしょう。
2015年2月20日金曜日
義務教育という弊害
実際には高校進学率が97%以上の現状から見ると、
高校までが義務教育であるような様相です。
が、問題は義務教育があること以上に、
子どもたちに義務を課せるだけの
力のある教育者が現場にいるか
ということです。
義務教育論争の中で結構無視されているのが
義務教育を施している教師サイドの
教育レベル、指導レベルです。
良いんです。
子どもたちに学校教育を課すこと自体は。
そこは本質的な問題ではありません。
どこの国も同じように制度化していますし、
勉強は大事なので。
ただ、現場で教えていらっしゃるのは
教育学部を出られた先生たちです。
小中高大という日本教育のレールの上を
ひた走ってきて、
あまりそれ以外の社会経験のない方々。
また、受験の難易度から言っても、
失礼ながら誰でも行けるレベルです。
私は以前から、
医学部と同じ水準まで引き上げれば良いのに
と考えてきました。
子どもの教育とは国の根幹に関わる一大事業です。
そこに当たられる先生たちが
どれだけ勉学に勤しんで来られたのか分かりません。
実際小中高は受験という大きな関門をクリアして初めて
評価される宿命を帯びています。
なのに、受験を乗り切った経験のある方は
ほとんどいないのではないでしょうか。
受験を乗り切らなくても
何となく勉強して合格したという方は多いです。
受験生の9割以上はそうでしょう。
特に医学部歯学部薬学部、
法学部といった高偏差値学部や、
難関校と言われる大学以外は
さほど受験に対して戦略めいたものは
不必要です。
それでも私が勉強戦略を標榜しているのは
単に自由な時間を増やしてほしいからであって、
仕事をする時にも役に立つ発想だからです。
ダラダラと勉強しても
必要な知識をインプットしてしまえれば
合格するのが大学受験です。
失礼な言い方をしてすみません。
しかし実際そうです。
教育学部は高いハードルじゃない。
学校にどれだけの先生が
受験戦略について明確なアドバイスができるでしょうか。
各教科の指導はできるかも知れませんが、
全体を通した受験指導は
それを経験した者にしか分からない世界です。
勿論雇用に関する問題もあります。
薄給で物理的にも厳しい仕事をさせられているのですから、
質を問われても仕方ないという現状もあるでしょう。
その部分は何も個人的な責任とは言いません。
制度の問題です。
制度の話で面白いものがあるのですが、
私はドイツの教育システムに
大いに参考にできる点があるなと思ったのです。
ドイツは中央集権国家体制を推進する日本とは真逆で
各州が権限を持つ地方分権制を採用しています。
学校制度についての基本的な構造を観てみると、
ドイツでは基礎学校と呼ばれる4年制の期間があります。
そこを卒業する際に初めてのキャリア選択が行われるそうです。
10歳の時点で高等専門教育を行うギムナジウムに進むか、
基幹学校、実科学校という職能訓練校に進むかを
選択させられるそうです。
また、基幹学校や実科学校に進むと
理論と実践というデュアルシステムによって
働きながら手に職を付けられるという制度があり、
こういった制度のおかげで
18歳未満の子どもたちのほとんどが
将来の明確なビジョンを見つけられているそうです。
確かに、誰もかれもが
難しい理論を勉強しなくてもいいわけで、
それが覚えられないからと
抱く必要のない劣等感を背負わされて
落ちこぼれのレッテルを貼られるなんて
はっきり言えば馬鹿げています。
ドイツの教育制度が素晴らしいと言う話ではなく、
日本の教育制度の問題点を解消する上で
参考でできるロールモデルになり得るのではないか、
という視点でお考え下さい。
隣の芝生はいつも青いものですから。
とにかく、義務教育という現状の制度にも
在る程度意識を向けて勉強していった方が良いと思います。
言われるがままに勉強していたら
思わぬ方向に行かされてしまうかも知れません。
自分で「考えて」進路を選択していける
勇気と覚悟ある人材こそが
これから道を拓いていけるのです。
2015年2月14日土曜日
遊ぶことも知らずに勉強ばっかしてもロクな大人になりませんよ!
いえ、大事な話です。
このGW中はしっかりお休みをいただきました。
時間を気にせずのんびり、
でも充実した4日間を過ごせたと思います。
現実問題、無理をすれば
教室を開けて生徒を招くこともできたでしょう。
しかし、それはやめました。
私が休みたかったからです。
そして、GWくらいは自由に過ごしてほしかったからです。
子どもたち、特に受験生は
勉強!勉強!!勉強!!!の日々です。
きっとGWも頑張って勉強した人もいるでしょう。
頑張ることは確かに褒めてあげたいのですが、
こういう誰もが遊ぶ時にしっかり楽しむことも
勉強には実は重要なんです。
脳はストレスが苦手だ、
という話は何度もしてきたと思いますが、
マンネリというのが嫌いです。
毎日毎日同じリズムになってくると、
脳は勉強に対して反応しにくくなります。
入ってくる情報に対して
「これ重要よね!」的な反応をしなくなるのです。
すると10の努力の結果5の成果くらいになってしまう。
これは勿体ない。
特に、GWという誰もが楽しんでいる時に
自分は頑張っているという状況。
ここに心底
「俺すげぇ!皆遊んでる時に頑張ってる!俺すげぇ!」
と迷いなく頑張れるなら良いのですが、
「別にやることないし、暇だし」みたいなノリなら
ちょっと成果は期待できないですね。
逆に脳は「リラックス」や「楽しむ」ことが
すごく好きです。
そういう時に刺激されるA10神経が
海馬の近くを通っているために、
記憶力を増強せせる効果まで持っています。
つまり、楽しむ時間があればあるほど
記憶力が上がっていくのです。
ということは、GWをガッツリ遊びつくして
「よおし遊んだ!あとは心おきなく勉強しよう!」
というメリハリをつけた勉強の方が、
脳も良い刺激を受けてどんどん吸収してくれるのです。
もっと言えば、
GWにこんなことした!あんなこともした!
という経験が、
話のネタになりコミュニケートを促進します。
コミュニケーションはネタが必要です。
英語教育も英語ばかり教えますが、
共有したいネタがなければ
話すことはできません。
いつか消えてしまう知識の蓄積に
必要以上の時間を割かずに、
もっと有意義な時間の過ごし方をすること。
それがこれからの勉強には
もっと必要なのかも知れませんね。
2015年2月12日木曜日
常識的であるうちは勝てるはずありません
多くの人がそうであると思うこと、
ほとんどの人が了解し得ること、
もしくはもっと別の意味?
でも、常識とは枠にはまることとも言えます。
常識を越えることが起きると
途端にパニックになる。
“非常識”と認識した時点で
不快さが生じて感情が反応する。
しかしそもそも、
それが常識であるかどうかは、
あなた個人にとってしか
有効ではないのではないでしょうか。
例えばあなたは一生懸命勉強しているとします。
でも成績はいつも20位前後としましょう。
勉強はかくあるものだという“常識”を持っているあなたは
何の疑問もなく
「10位に上がりたければもっと頑張らねば」
と思うわけです。
しかし、自分よりも成績の良い子で
部活も遊びもたくさんやっていそうな
「スゴイ奴」がいるとします。
するとあなたにとっては“非常識”な存在ですから、
「あいつは特別だ」
「あいつは頭が良いから」
と処理してしまうかも知れません。
常識とはかくあるものです。
思考停止を促し、
非常識を異質なものだと除外して、
常識に囚われさせるガラスの牢獄です。
しかし、あなたが今手にしている“常識”を疑わない限り、
一生あなたはその牢獄から出られないわけです。
絶対その「スゴイ奴」には勝てません。
なぜか。
彼は彼の“常識”で動いているからです。
あなたがどんなに自分の価値観や
勉強への捉え方を“常識”だと思っていても、
そのせいで彼の常識を”非常識”と考えていては、
二人の立ち位置はずっとそのまま。
そして、彼の常識の方が
より人生を謳歌しながらも勉強で成果を出せている。
彼からすれば、
あなたの常識の方が”非常識”。
常識とか非常識とか、
そういう括りは棄ててしまいませんか?
余計な足かせですし、
持ってても何の得にもならないでしょう。
自分をガラスの牢獄に閉じ込めて、
ちなみにこのガラスはマジックミラーなので
こちら側からは外は見えないのですが、
この広い世界を自分の狭い価値観で
認識してしまう愚を犯すことになるだけです。
あなた一人の個人的な価値観で測れぬほど
この世界は大きいのです。
国を一歩出れば、
いえ、県を、その町を一歩出れば
通じるかどうかも分からない常識を、
判断基準に生きるのはどうなのでしょうか?
あなたがその常識を棄てて、
彼らの常識に並ばない限り、
あなたは頑張って頑張ってやっと20位以内。
でも彼は頑張らないから
気楽に過ごして10位以内なのです。
勉強は一生懸命やるものなんて、
一体だれが決めたのでしょうか。
その方が美しく見えるというだけの話でしょう。
努力する者は報われるべきだという
偏った平和主義が
あなたの目を曇らせているのかも知れません。
2015年2月9日月曜日
100年前にすでに誤りだと分かっていた!?
いつ頃からあったのでしょうか。
最近車内で“聴いていた”本の中で
学歴主義の採用の話があったので
気になってしまいました。
1910年頃、
明治維新から40年程経っていた当時、
明治維新で活躍した薩長の州派閥が
幅をきかせていました。
そこで当時の日本は
そういった派閥の解消のために
優秀な人間をどんどん登用せんと
考えたのが学歴主義だったようです。
それまでは大日本帝国という
アグレッシブな勢いを見せていた日本。
日清戦争にも勝利し、
大国イギリスとも同盟を組み、
ロシアとの戦争においても
世界最強のコサック騎士団および
海軍バルチック艦隊を破っての
大勝利を収めていました。
しかし、第一次世界大戦も
武器の輸出という黒子役でやり過ごした
当時の日本の軍部は
徐々に善からぬ方向へ進んでいたのです。
そう、学歴主義によって
薩長の派閥解消が進んだ代償に、
実践のない机上の空論ばかりを振りかざす
上官ばかりが出世してしまったのです。
その結果は多くが知るところです。
そう、第二次世界大戦の敗戦。
今から100年ほど前に実施された
学歴主義という在り方は
すでに誤りであったという
歴史的解答が示されていたはずなのです。
しかし、ここ数年でようやく
教育現場が学歴主義に
警鐘を鳴らし始めました。
教育改革です。
学歴はあるに越したことはありません。
しかし学歴しかない子どもたちは
何の力もないのと同じです。
ペーパーテストで優秀であることが
一体実社会でどれだけの意味を持つのか。
今ではターゲティング戦略によって
優秀“かつ”実務能力にも長けている人材を
リクルーターに見つけさせる
採用戦略が採られているところもあります。
企業側も色々な制約を受けている一方で、
その網をかいくぐり
より付加価値を生みだせる人材を
早めに囲う作戦を進めているのです。
私たちは今こそ、
日本の教育の在り方の外から
改めて自分の立ち位置を
確認する必要があります。
私はどこにいきたいのか。
日本の教育はそれに対して役に立つのか。
それをこそ考えるべきなのでしょう。
2015年2月8日日曜日
塾、学校、会社がなくなる20年後のために
組織形態にあるシステムは崩壊します。
と言うとドキッとするでしょうか。
でもあり得ない話ではありません。
勿論全ての組織が崩壊する
なんてことはありません。
しかし、これらが徐々に
瓦解していくことは想像に難しくありません。
これだけ技術が進歩してくれば、
もはや物理的に
一か所に集まる必然性は
なくなります。
仮想現実の技術は
今でもFacebookが採用していこうという
流れになるほど現実になってきています。
テレパシーの研究も進められ、
DNAに情報を保存するというものまで
既に数年前から話題になっています。
すると、
どこにいてもその場にいるような経験ができるなら、
そこに行く必要がないのです。
もしかしたら観光や旅行なども
仮想現実で完結するような
新プランが発売されるのも
近いかも知れませんね。
そうなると
マトリックス・プラットフォームが確立され、
そこで“体験”が売り買いされる時代が
来るかも知れません。
以前お話ししたかも知れませんが、
「記憶する」という行為自体も、
パソコンにさせているような
ダウンロードで済んでしまうように
なるのではないでしょうか。
そうやってリアルとバーチャルが
次第に融合されていき、
20年経った頃には
既存のあらゆる価値観は崩壊し、
パラダイム・シフトの過程で
“組織”が存在意義を失うわけです。
今高校生の子も、既卒生の子も、
勿論小中学生の子たちでさえ、
こういった未来に向けて
今をどう生きるかが重要になっています。
勉強しろっていう話ではありません。
勉強とは所詮英数国社理でしょう。
でもそんなものしかできない人は
全く相手にされない時代になります。
これからはプラスαなのです。
パラダイム・シフトは徐々に来るので
よっぽど意識おかないと
気付かぬうちに変わってた!
ということにもなりかねません。
でもそういうゆでガエル現象の中でも、
ちゃんと殺される前にお湯から出るカエルも
少なからず存在するのも事実であり、
彼らが次の価値観を醸成するのです。
今どんな勉強に青春を託すのか、
今まで以上に重要な意味を持っているのかも知れません。
2015年2月5日木曜日
普天間基地移設問題から見る「問題解決の視点」
書かないのですが、
そもそも論の部分で気になっていた
ある点を調べてみると、
やはりそうだったのかってことが分かったので
少しだけ。
今普天間基地の周囲に町があり
多くの人が住んでいます。
世界一危険な基地と
言われているそうですね。
そこで私が感じた疑問は
「基地が先か町が先か」
というものでした。
調べてみると、
やはりというか「基地が先」。
ということは、
普天間基地の周りに
人が集まってきたということになります。
そうすると、
普天間基地移設問題で
声を上げている沖縄の人々の言い分は、
ちょっとおかしいぞ?
ってことになります。
これは東日本大震災で
犠牲になられた方々の多くが
洪水による溺死であったということの原因が、
そもそも、
これより先の土地には住んではいけないと
昔から言われていた土地に
町をつくってしまったことによるものだ、
という問題とよく似ています。
尖閣諸島についても、
かつての日本政府と中国政府間で密約がなされ、
“日中は田中角栄と周恩来、
それに続くトウ小平の時代に
巨額の経済的支援と引き換えに国交正常化を実現し、
尖閣問題については繰り返し
「棚上げ」を密約として確認してきた”(大前研一談)。
その経緯がこじれて
日本が一方的に「棚上げ」事情を
反故にしてきたことで問題化しているそうです。
歴史を無視して
今目の前で起きている事象だけを
断片的に見てしまうと、
問題の解決は永遠にできません。
当事者であれば
感情的になるのも無理はないのですが、
何事も感情的になり始めたら
収集がつかなくなるものです。
私は沖縄問題に関しては
あまり詳しくはないし、
こんなことを論じること自体が
波風を立てることになるのかも知れませんが、
そもそも私には立場も肩書も何もないので、
ちょっとした疑問をつぶやくくらいは
良いかなと思った次第です。
そして、考えるという行為は、
目の前の情報だけではなく、
時系列が非常に重要です。
歴史的な背景を理解せぬまま、
国民感情を全面に出したところで、
お互い熱くなるばかりなのです。
そして、何を解決する気なのか、
ということも重要な視点です。
問題の議論を始めると、
段々とお互いがヒートアップし、
そもそも何を解決しようとしていたか
分からなくなることがあります。
沖縄の普天間基地を移設することで
一体どういう状況にしたいのか。
基地が邪魔なのか
軍人の危険行為をなくして欲しいのか、
もっと他のところに
解消したい問題があるのか。
このように、
問題が大きく複雑になるほど、
その解決には冷静な思考力が
求められますものなのです。
2015年1月29日木曜日
スランプ中につき
スイッチを切ったように
何も一切したくないテンションです。
理想を言えば、
勉強本などにもあるように
スランプ中であっても
勉強を切らしてはならない、
攻めの勉強から護りの勉強へ、
的な行動が取れれば良いのですが、
現実問題そういきません。
というか、
別にスランプ中であっても
勉強を続けられる人はやればいいと思うんです。
できそうにない人はやらなきゃいい。
甘えとかそういうことではなく、
スランプ中でもやらねば!
と思える人はできるんでしょうし、
ここは無理しても仕方ないから
全面降伏して立ち直りを優先しようと考える
私みたいなのがいても良いと思います。
何を言いたいのかというと、
私たちは情報に踊らされている
ということです。
世の中には情報が溢れています。
というか、
世の中は情報でできている。
その中にあって
意欲の高い人間というのは
貪欲に情報を集め吸収しようと思うのですが、
メディア戦略で消費意欲を
掻き立てられているのと同じで、
勉強や仕事においても
あああらねばならない、
こうあらねばならない、
ああすべき、こうすべきと
様々な“煽り情報”に刺激され続けているのです。
だから、学びを止められない状態に
なってしまっているのではないでしょうか。
私は今回久々の大型スランプを迎えて、
結構焦っていたんです。
つい一昨日までは。
今の時期は私にとって超重要な時期。
そこでスイッチが切れている場合じゃない!
と思うわけです。
でも、こういう焦りを抱いていることも、
きっと何か重要なものを
見失っているせいではないのか?
とふと思ったのです。
分かりやすく例えるなら、
スランプとは成長期であり、
遺伝子組み換え期です。
新しい自分のフェーズに変わる過程であり、
痛みや苦しみを伴う
回路の再構築が行われている時期なのです。
なので、スランプというトンネルを抜けると
新しいパワーアップした自分が待っているわけです。
そのことを思い出した段階で、
必死になるのを辞めました。
リラックスして、
だらけるだけだらけて、
とりあえずやることだけやってから、
あとはなるべく省エネモードで動く。
そうやって余計なストレスを溜めこんで
成長を阻害することのないよう
鎮痛行為だけを意識しています。
それでも相当キツイですが。
でも、このことを知っていないと、
無意識のうちに自分を酷使し、
焦らなくても良い時に焦り、
肝心な時にガス欠になってしまうものです。
現在スランプ中につき
ギアを上げきらない状態ですが、
ストレスなくできることを見つけて
勤務時間内パフォーマンスだけは
落とさないようにするくらいです。
皆さんもスランプの時には
無理して勉強しない方が良いです。
もちろん、できる人はやっていいですが、
「やるべきだ」という思いでするのなら
精神の安定やストレスの解消などを優先させ、
勉強をしないようにすることをオススメします。
2015年1月24日土曜日
叶う目標に関する最重要事項
私も持っていますし、
生徒たちにも持つように教えています。
目標の持ち方も勿論
教えていました。
しかし、最近のスランプの中で、
叶う目標と叶わない目標を分ける
超重要なポイントが分かってきました。
これはあまりにも重要なので、
こちらのブログでは載せません。
私に直接お声掛けいただいた方のみに
お教えしようと思います。
ただ、これを知ると
すぐにでも目標を書き変えたくなります。
私もそうでした。
全く違うものになりました。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ちょっと頑張れば
届きそうな目標を立てる、
というのは
スーパーナンセンスだ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
という話は以前しました。
こんなことを言う人は
勉強のべの字も知らない
ど素人だとも言いました。
そもそもそんなものは「目標」ではありませんし。
まずは前提として
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
今の自分では逆立ちしても
絶対叶えられないような
でっかい目標を立てなさい
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ということを思い出して下さい。
そして、さすがに答えは載せませんが、
それじゃあ単なるいじわるなので、
ヒントをお伝えします。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
キーワードは「ペルソナ」です。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
別のところで、
この世は正に情報でできていて、
その無数の情報に
私たちは振り回されている
と言いました。
私達は
欲しくないものを欲しいと思わせられ、
行きたくもないうちから
行きたいと思わせられ、
ありとあらゆる洗脳を受けて
生活しています。
そうした中で
いつの間にやら「ペルソナ」に
覆われてしまっているのです。
ペルソナとは
本来の自分とは異なる
偽りの表面的な自分という皮のこと。
本来の意味で言うところの
潜在意識を後天初期の無意識と言うなら、
洗脳の結果生み出されたのは
後天後期無意識により形成された
“見えないもう一人の自分”
ということになります。
これはある種の
前提(フィルター)になっているのです。
つまり、ペルソナに気付かぬうちに
目標を立てても
どこかにかすかな違和感を
感じるはずです。
そこの修正ができてはじめて
「叶う目標」に行き着くことができるのです。
2015年1月23日金曜日
大阪都構想反対多数
この僅差なら「賛成も多数」です。
彼は一体何に負けたのでしょうか。
政治、選挙は勝ち負けではありませんが、
今回都構想を実現できなかった責任を
これからの大阪は身を持って負っていかねばなりません。
これは個人的な予想ですが、
今回66.8%だった投票率が
もし70%にのっていたら、
この差は埋まっていたのではないでしょうか。
今回の相手は自民&民主&公明の連合軍。
ということは組織票の大きなところは
向こう側。
あとは個人の票をどこまで集めるか。
そして今回の都構想でネックになっていた
高齢者には厳しくなりそうなイメージが
票数に大きく影響したとも言われています。
さて、今朝ニュースで橋下氏の清々しい会見を見て、
先に挙げた点と
記者たちの馬鹿な質問攻めに対して、
今回の橋下さんの負けを確定付けたのは
やはりメディアの力だったと確信しました。
そして、7年半も戦い続けて
なお大阪は「変わらない選択」をしたのですから、
もう橋下さんからすれば
「じゃあ勝手にしなよ」という感じでしょう。
大阪は変わるべき時にいる。
その一心で突っ走っていた姿。
全てを敵に回しても
大阪変革を旗印に論破してきた忍耐力と思考力。
どんな相手にも立場を崩さず
論理的に攻勢し、
メディアに邪魔されながらも
ここまで健闘された気力。
私は本当に橋下さんを尊敬します。
私だったらとっくにキレてる(笑)
細かいところを見れば、
問題が全くないことはないでしょう。
そりゃあれだけ大規模な構想です。
全ての人にとって良いモノなど
たった7年半で創れるわけがない。
それでも投票する側は自由です。
人は感情的に「イヤ」となると、
大きなメリットよりも
小さなデメリットで揚げ足を取りたがり、
大衆的な幸福よりも
自分の得を選びたがるもの。
二重行政下で様々な点で損をさせられていても、
長い時間の中で慣らされて気にならず、
その状況を立て直そうと誰かが立ちあがっても、
大阪市がなくなるのはイヤだと
意味の分からない反対をする人が出てくる始末。
目に見える変革による混乱を避けて
今までの損を取り続けたいらしい。
これだけ死ぬ気でやってきて、
結果都構想が水泡に帰したこのタイミングで、
続投する気になるわけはないですし、
それだけ民意が「都構想はない」と言うなら、
もう他の政治家の皆さんが
この大阪をどうにかして下さいと言うほかありません。
やることは全てやり、
全力を出しつくしてやりきった7年半の結果。
それを受け入れた清々しい会見。
「橋下さんは人間的にもやっぱりスゴイ人だなぁ」
と一人感動していました。
確かに半分の方々が
賛成して下さったとは言え、
都構想がなしと決まった時点で
橋下氏が政治家で居続ける理由はないでしょう。
本当にお疲れ様でした。
外野からですが、
本当にお疲れ様でしたと伝えたい。
2015年1月14日水曜日
塾の費用が投資になる人、浪費になる人
かなり厳しい御題目を付けました。
受け入れがたいという方は
「所詮こいつの個人的意見でしょ」とでも
思ってやって下さい。
でも忘れないで下さい。
これは真実です。
さて、以前より
「塾に行くなんてバカだね~」
という話をしていますが、
その真意をもう少しだけお話しします。
まず考えていただきたいのは、
お子様に何のために勉強をさせているのか
ということです。
この子が困らないように。
将来安定した仕事に就けるように。
少しでも能力を上げておけるように。
しかし一方で、
そんな先々のことを
臨場感を持って認識できるほど
子どもたちには“体験”がありません。
我々大人にとっては
未来をイメージすることは難なくできますし、
その重要性を認識することもできるのですが、
反対にお子様はできません。
大人になるということが
はるか先の未来の話だからです。
本当に自分が大人になる時が来るの?
というくらい未来は遠い存在。
そんな子どもたちに対して
「将来」を語ってみせたところで、
残念ながら思っているほど
届かないと思います。
また、子どもたちのこの先の将来には
安定している仕事なんてありません。
おそらく公務員というシステムも
続けていくことができずに
崩壊している可能性すらあります。
日本2トップだったはずの
航空会社JALという企業も
運営が苦しくなり国の補助を得ました。
SONYやSHARPなど
誰もが名を知る大企業ですら、
今青息吐息です。
大企業はこれから縮小、
倒産していくだけです。
ベンチャー企業の9割は
起業後5年以内に倒産します。
こんな世の中の10年後、20年後に、
この状況が劇的に改善しているとは
私には思えません。
そんな激変する社会の中で、
今の子どもたちが大人になる頃、
どんな力を必要とされる社会に
なっているでしょうか。
そこに果たして東大です、京大です、
という学歴が資格として
力を持っているでしょうか。
私は半々と見ています。
確かに得できる部分もあるでしょう。
今でさえ企業側も採用段階で
ターゲティングを仕掛けています。
学歴主義はありませんと言いながら、
正式な就職採用活動に入る前から
めぼしい大学にリクルーターを送り
アプローチをかけているのです。
大企業を目指せば目指すほど
学歴主義を避けて通れなくなるのです。
そんな時に、もしお子様に学歴があれば
その学歴フィルターをくぐりぬけることは
できるかと思います。
ただ、就職活動は内定を得ることが目的です。
学歴は「あって当たり前」くらいで、
要はそこから「他の子にないものは何?」
という視点で見てくるのが面接です。
ちなみに、その前にES(エントリーシート)
という段階もあるのですが、
ここでほぼ8割内定が決まるそうです。
他に選ばれるのは
内定した子が辞退するリスクを考えて
第二希望レベルの子を余計に選んでおくとのこと。
もちろん全ての企業の話ではありません。
そうした時に、
お子様がどうなることに対して
塾にお金を払っているのか。
そのことを保護者の皆さまが
明確にイメージできているかどうかが
とても重要になってきます。
もし、とにかく目の前の成績を上げること!
という考え方でされているのであれば、
おそらくその塾の授業料は「浪費」になるでしょう。
お子様に必要なのは
知識ではないからです。
考える力が必要なのです。
なので勉強したくないと言う子に
無理矢理知識を付けさせようとしても、
ユダヤの格言のように
馬を水場に連れていくことはできても
水を呑ませることができないように、
お子様が知識を増やしていける道理は
ありません。
そんなこと言っても、
じゃあ放置しろとでも言うのか!?
と思われるかも知れませんが、
私が言いたいのは「順番」の問題です。
目標も何もないうちから
イヤがっているお子様を
無理矢理塾に連れていくのではなくて、
まずはお子様が勉強に向かうように
環境や心情を整理させてあげるのが
先だと言いたいのです。
ハッキリ言えば、
知識さえあれば合格しますが、
馬鹿が知識付けても馬鹿なんです。
そして知識は時間と共に消えていきます。
ならば残るのはやっぱり馬鹿です。
馬鹿とは「考えようともしないこと」です。
考える気もないのに知識を覚えても
意味がないのです。
そして馬鹿のまま学歴を持っても、
宝の持ち腐れで役には立ちません。
大事なのはお子様自身が
レベルアップすることです。
ただこれは勉強に限っての話で、
別に勉強が全てではないですし、
勉強はしたくなってからするのが一番です。
お子様が勉強するようになるには、
勉強しろ勉強しろと言う前に、
お子様との信頼関係が先です。
子どもが頑張るのは
親が喜んでくれるからです。
親が喜んでくれないのなら
全ての努力が無になるのです。
どんな子どもも
生まれた時から一緒の親を
無条件に愛しています。
しかし、その親から愛されないことで
勉強へのモチベーションを失います。
少なくても、愛されていないと感じれば
子どもたちは頑張る気力を
いとも簡単になくしてしまえるのです。
愛することは相手を知りたいと思うことです。
相手にこうして欲しいと思うことではありません。
お子様を知りたいと思う気持ちです。
そういう関係性もなく
ただ勉強しろ勉強しろ
成績上げろ成績上げろと言っても、
した努力も伸びた成績も
お子様には何の役にも立たない
ただのガラクタでしかなくなるわけです。
そしてそんなガラクタ収集のために
塾に高額の授業料を払うのかどうか
という話なのです。
私の学習室では考える力を付ける
特別授業を行っています。
しかし参加は任意です。
聴きたい人は来ればいいし、
別にいいやと思えば来なくても良い。
聴きたくない子に話しても
お互いにとって時間の無駄なので、
私は聴きたいという子にだけ
話をします。
相手が一人しか来ない日でも
変わらず話をします。
来たその子さえ得ができれば
良いからです。
話がちょっとそれましたが、
塾の費用、浪費になっていませんか?
今一度ご確認下さい。
2015年1月13日火曜日
「限界を知る」の本当の意味
なんだかネガティブな印象を受けます。
私も人から言われたら
そう受け止めるでしょう。
しかし、本来の「限界を知る」とは
建設的な打開策を講じる上で
とても重要なものです。
限界とは「自分はここまでできる」というラインを
しっかりと認識することにあります。
ただ、それは自分の能力への諦めでは
決してありませんし、
そう受け取るべきではありません。
人生はまだまだ先に続きます。
現時点で何ができて何ができないか
という話なのです。
限界というのは
現時点での効果測定みたいなもので、
何を鍛えれば
その限界を越えられるかを知るための
建設的な考え方であるはずです。
勿論、イチロー選手のように、
勉強でめっちゃ頑張ったけど
4位にしかなれなかったから
野球に賭けることにした
という話では、
文字通り
自分の勉強に関する能力に
見切りをつけたということでしょう。
これは“健全な使い方”だと思います。
「限界を知る」とはツールなので、
どこでどう使うかが重要です。
その解釈において
「自分はどうせこれが限界なんだ」と思ってしまうと、
その先に続いていたはずの成功の未来が
一生途絶えてしまうことになります。
確かに挫折は苦しいものです。
敗北や失敗は心を折るものですし、
失った自信を取り戻すのは
容易ではありません。
ましてや、自分の限界を把握するという作業は
特に挫折や行き詰まりの時に
しなければならなくなるものです。
そもそもが傷つきネガティブな状態で
向き合うツールなので、
いかにも「諦め」に繋がりやすくなります。
しかし、エジソンが
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
途中で諦める者は、
自分が成功にどれだけ近づいているか
気付いていない
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
と言っているように、
そこで諦めることが
本当に妥当な選択かは
正直誰にも分からないのです。
イチロー選手のように
時間的な制約をあえて設けて、
際限なく不毛な努力を続けるリスクを
なくすということも大事な決断です。
しかし、一生懸命やったけど
思うような成果が出なかったというのは、
必ずしも諦める理由になりません。
どこに原因があったのか
そこさえ分かれば何度でも
リベンジできるからです。
要するに、
目の前のそれが
諦めるべきものか
諦めるべきではないものか、
その判断をどう正確にやれるか。
そこが大切なのだと思うのです。
ですから、
「自分の限界を知る」というツールを
是非意図的に使って下さい。
感情的に諦めの道具とするのではなく、
あくまでも現状把握を行う上での
モノサシとして使うのです。
大事な選択肢を
安易に手離してしまう前に。
2015年1月12日月曜日
「塾をやめれば成績が上がる」と言い切れる理由
あることに気付かされました。
それは、
自分の真意が思いのほか
伝わっていないのではないか、
というものでした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
塾をやめれば成績が伸びる
塾に行くのはバカな人だ
塾に行くなと言う本人が
学習室をやっているじゃないか
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
といったご指摘を受けたのです。
確かに、
毎回強烈な言いまわしで論じているので、
その印象ばかりが先行しているのかも
知れません。
そこで昨日から
Youtubeにもこれらの誤解を解くべく
動画をアップしています。
そちらも参考にしていただけたらと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=XFNoOqOcFHg
https://www.youtube.com/watch?v=EsABf__bs_w
さて、今回はその私の真意を
少し長くなりますがお話ししていきます。
正直長いです。
まず、私がしたいこと(ミッション)は
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
できない子をできる子にする
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
です。
「できない子」とは勉強ができない子であり、
成績が芳しくない子です。
この子には2種類います。
①やる気がそもそもなくてやってもいない子
②やっているのに伸びない子
私はこのどちらも救いたいと思っています。
では、塾ではそれができないのか、
という話ですが、
結論から言えば「できません」。
少なくても今までやってきてません。
それは今や5万教室を越えた
塾業界を考えれば一目瞭然です。
これだけ塾があっても
できない子はできないままで、
できる子はできるままです。
その格差が以前よりも縮まっていると思う方は
多くはないでしょう。
勿論、中には
少数ですが変貌を遂げる子もいます。
しかし、今の仕組みでいけば
それは極めて稀なケースで、
言ってみれば「運が良かった」だけの話です。
私はその
「できない子ができる子になる仕組み」を
ブレイクスルー・アカデミーという形で
具現化したという流れです。
では、ここは塾ではないのか、
ということですが、
それは私の塾の定義が
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カリキュラム、授業、テキストを
決められて勉強させられる場所
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
としているため、
「うちは塾ではありません」と言っているのです。
ブレイクスルー・アカデミーには
それらは全てありません。
完全なフリースタイルです。
なぜフリースタイルなのか。
それは
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
カリキュラムも授業もテキストも
できる子になるためには邪魔
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
だからです。
この理由を論じる前に、
そもそも「できる子」と「できない子」を
分かつものは何なのか、
という問題を説明します。
片や、特に頑張らずに成績優秀で、
片や、頑張ってるのに伸びない。
明らかに差があります。
その差を生むのは「頭の良さ」?
そう思う方もいるかも知れませんが、
違います。
みんな同じ構造、
同じ容量の脳を持っています。
機能的に違いが出るはずないんです。
※先天的な天才は別に考えて下さい。
では、一体原因は何なのか。
それはこれです。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
勉強というものを
きちんと理解しているか
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
原因はこの「理解の差」に集約されます。
よく「東大に行く子の親は高収入」と
話題に取り上げられますが、
この切り取り方は本質を見失わせます。
東大に行く子は
勉強とは何かが分かっているのです。
頭の良し悪しではなくって、
ルールさえ分かれば攻略できると
分かっているので、
別に自分たちが頭が良いとは思っていません。
受験を攻略した。
それだけなのです。
そして高収入の親というのは
学歴も高い方が多いので、
親もまた勉強というものを
理解している可能性が高い。
なのでそういう視点や発想や考え方が
自然と家庭教育を通して
子どもたちに浸透していると考えられます。
つまり、勉強に関して教育費をかけられたから
成績が良いのではなくて、
そういう教育を受けられる環境だった
ということなのです。
もちろん、高額な塾に行けば
勉強のプロもいることでしょう。
単なる小手先のテクニック以上の
本質的なことを教えてくれる先生も
いたのかも知れません。
ただ、勉強とは何かを知る術は、
別に高額な塾に行かずとも
本屋に行けば無数に手に入るものです。
収入格差そのものが
学歴格差を生むという論調は
あまりに表面的だと私は感じています。
そして、
話を元に戻しますが、
このブレイクスルー・アカデミーでは、
こういった「勉強とは何か」ということを
教えているわけです。
で、そこにフリースタイルがどう効いてくるかと言うと、
その子がするべきことに
集中させてあげられるということです。
カリキュラムや授業やテキストの制約がないので、
学校のテスト勉強を軸にして、
教科バランスや目標に応じて
それぞれが力を入れるべき内容に
フォーカスできる仕組みを採っています。
だから、誰もが3カ月で
50点、100点普通に伸ばせるわけです。
これは当たり前です。
すごいことでも何でもない。
やるべきことをやって伸びないはずがないんです。
逆に塾はシステムで制約しますから
その分非効率になって
努力効果が分散させられてしまい
効果が上げにくい環境なんです。
だから「成績を伸ばしたいのに」塾に行くのは
おかしいよね、と。
余計に状況悪化してるよね、と言いたいわけです。
じゃあ、成績イイ子はどうなんだ、
となるのですが、
彼らは勉強のことを理解しているので、
その塾のシステムを
自分のすべきことをベースに
上手く活用する業に長けています。
だから変わらず、というか
さらにパワーアップしていける。
つまり、同じものを与えられても、
それを使いこなせるかどうかで
成績がガラッと変わるということなのです。
ということは、
「勉強の理解の差」とは本質的には
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
発想の仕方、考え方の差
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ということに行き着きます。
ということは、
できる子の発想や考え方を
できない子たちが身に付ければ、
同じ成果を出せるようになるじゃないか!
という話なのです。
そしてそれは、
私が実際に高校受験の時と
大学受験の時に実践して
効果は実証済みですし、
何より成績イイ子たちは
みんなそういう勉強感覚を持っています。
現に今私の学習室には
講師は医学部生しかいませんが、
彼らも全く同じ感覚で
指導にあたって下さるので
安心なのです。
ただ、ここには大きな問題がありました。
勉強ができない子には
この考え方が受け入れられないのです。
これは予想外でした。。。
みんな頑張っても伸びない。
どうにか成績を伸ばしたいと思っている。
そう思っていたんです。
しかし、どうもちょっと違うらしい。
先日お話をしたその方にも
この話をしたのですが、
話の途中で
「考え方なんて後回しだろう!
まずは成績を上げさせろ!」
と怒鳴られてしまいました。
これ以上は何を言ってもダメだと思い、
その後は「はい、そうですね」と
繰り返すことにしたのですが、
このやり取りが全てを物語っています。
もうお気づきかと思うのですが、
これこそが日本教育の根本にある問題です。
考える力を失った大人が
平気で今の子どもたちに
「考える力を後回しにしてとにかく勉強しろ!」
と言う。
相手の考え方を理解しようともせず、
ひたすら自説にしがみつき、
「お前の考え方は間違っている」
と言う。
考えることよりも点数!成績!
これを大人が言うのですから、
子どもたちがなかなか変われないのも
無理はありません。
そして、だからこそ、
これまで何十年も
できる子とできない子の格差が
埋まらなかったわけです。
そしてこのギャップを埋めることの
途方もなさ。
予想以上でした。
彼らは成績を伸ばしたいんじゃないんです。
楽をしたいだけなんです。
自分を変えずに成績だけを
何とかしたいと思っているんです。
いやいや、成績を伸ばすためには
成績がイイ子たちと同じことすればいいじゃん!
と言うのですが、
どうも彼らには
「いや、あなたの考え方は理解できない」
となるらしい。
完全に成績伸びないパターンです。
だから10時間勉強しても
15時間勉強しても
一向に成績上位者に追い付かない。
当たり前の結末です。
ならばせめて
「塾に行く」という発想そのものに
疑問を感じてくれれば、
何かきっかけになるんじゃないかと
私なりに考えてみたのが
このブログでした。
かなり長くなってしまいましたが、
このブログで何か少しでも
誤解が解けてくれればいいと思います。
それでもなお、
いや、お前の考え方は理解できない、
と思う方は、全然いいのです。
無理して私に付き合う必要はありません。
勉強で成果を出したいという方は
参考にしていただけたら
それで私は救われます。
今成績が芳しくなくて
どうしても今の自分を変えたいという方に
この思いが伝われば本望。
そのためにも、
私は今後も発信を続けていこうと思います。
こんなにも長い文章を読んでいただき、
本当にありがとうございました。
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