多くの人がそうであると思うこと、
ほとんどの人が了解し得ること、
もしくはもっと別の意味?
でも、常識とは枠にはまることとも言えます。
常識を越えることが起きると
途端にパニックになる。
“非常識”と認識した時点で
不快さが生じて感情が反応する。
しかしそもそも、
それが常識であるかどうかは、
あなた個人にとってしか
有効ではないのではないでしょうか。
例えばあなたは一生懸命勉強しているとします。
でも成績はいつも20位前後としましょう。
勉強はかくあるものだという“常識”を持っているあなたは
何の疑問もなく
「10位に上がりたければもっと頑張らねば」
と思うわけです。
しかし、自分よりも成績の良い子で
部活も遊びもたくさんやっていそうな
「スゴイ奴」がいるとします。
するとあなたにとっては“非常識”な存在ですから、
「あいつは特別だ」
「あいつは頭が良いから」
と処理してしまうかも知れません。
常識とはかくあるものです。
思考停止を促し、
非常識を異質なものだと除外して、
常識に囚われさせるガラスの牢獄です。
しかし、あなたが今手にしている“常識”を疑わない限り、
一生あなたはその牢獄から出られないわけです。
絶対その「スゴイ奴」には勝てません。
なぜか。
彼は彼の“常識”で動いているからです。
あなたがどんなに自分の価値観や
勉強への捉え方を“常識”だと思っていても、
そのせいで彼の常識を”非常識”と考えていては、
二人の立ち位置はずっとそのまま。
そして、彼の常識の方が
より人生を謳歌しながらも勉強で成果を出せている。
彼からすれば、
あなたの常識の方が”非常識”。
常識とか非常識とか、
そういう括りは棄ててしまいませんか?
余計な足かせですし、
持ってても何の得にもならないでしょう。
自分をガラスの牢獄に閉じ込めて、
ちなみにこのガラスはマジックミラーなので
こちら側からは外は見えないのですが、
この広い世界を自分の狭い価値観で
認識してしまう愚を犯すことになるだけです。
あなた一人の個人的な価値観で測れぬほど
この世界は大きいのです。
国を一歩出れば、
いえ、県を、その町を一歩出れば
通じるかどうかも分からない常識を、
判断基準に生きるのはどうなのでしょうか?
あなたがその常識を棄てて、
彼らの常識に並ばない限り、
あなたは頑張って頑張ってやっと20位以内。
でも彼は頑張らないから
気楽に過ごして10位以内なのです。
勉強は一生懸命やるものなんて、
一体だれが決めたのでしょうか。
その方が美しく見えるというだけの話でしょう。
努力する者は報われるべきだという
偏った平和主義が
あなたの目を曇らせているのかも知れません。


