もともと経済で使われていたものです。
そのさらに源流には
レッセ・フェール(「成すに任せよ」の意)原理があり、
要するに自由放任主義というものが
ネオリベラリズムのベースにあるわけです。
レッセ・フェールがなにを言っているかと言うと、
あまり周囲が干渉しない方が
神の見えざる手の力で
なるようになるんじゃないのか?
という話です。
アダム・スミスの『国富論』での解釈は
このようになっています。
ただ、直感的には
「う~ん、本当にそうなのかな~??」
と思ってしまうと思います。
私もそうです。
そこで色々な価値観が宗派となり、
分かれてきた中の一つが
ネオリベラリズムなのです。
新自由主義というのは、
干渉は最低限にしましょう、
あとは市場に任せましょう、
という経済の話なのですが、
これをさらにざっくり言うと
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
富める者から富め。
落ちる者は勝手に落ちろ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ということでもあるようです。
これを聞いた時に
正に今の日本の勉強事情が
こうなっているなぁと感じました。
『君主論』のニッコロ・マキャべリが言うように、
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
こう生きるべきだということと
実際にどう生きるかは別の話だ
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
というのと同じで、
本当は皆が救われるべきではあるけれど、
実際には成績のいい子は伸びて
成績の悪い者は伸びないという
「結果論的新自由主義」になっているように
感じるのです。
そして神の見えざる手によって
塾業界や個別指導塾業界が
迷える保護者さま方に応えるように
どんどん世に“塾”を蔓延させました。
その結果、猫も杓子も塾に行くようになり、
結局学校と同じ現象が塾で再現されるという
皮肉のような事態になっています。
儲かったのは塾や個別指導塾です。
生活費を圧迫するほど教育費をかけても
結果が変わらないという現実を
知ってか知らずか
通塾率はどんどん上がっていきました。
おそらくこの現象はもはや塾が
保護者の方々の不安の解消という
精神安定剤的な役割になっていることを
意味しているのでしょう。
しかしこれは
塾に行かせれば安心だ、という
無思考的な行動です。
これで事態が解決するかというとそうではなくて、
問題を目の当たりにしなくて済む
程度のことなのです。
問題から目をそらして
問題が解決するわけはなくて、
その解決を塾に丸投げしたところで、
そこにいるのはただのおじさんおばさん、
もしくはアルバイトの大学生です。
根本的な治療はできません。
塾は病院ではないのです。
幼稚園とか保育園なのです。
だから、学校と同じです。
ということは、
学校で勉強ができない子が
塾に行ってできるようになる理屈はないし、
なったらラッキーのレベルです。
しかし、こういったことが理解できている
保護者の方は限りなく少ないでしょう。
というか、保護者の皆さま自身が御忙しいので
そこまで考える余裕がないのかも知れません。
でもそれでもやはり、
今の勉強事情に関する格差の原因は
至極単純です。
物事をしっかり考えて解決に努力した者は
上に行き、求められる。
そうしない者は
決して上には上がれない。
考え抜いた者にのみ
運命の扉は開くものです。
神に救われたいと思うのなら、
それにふさわしい努力が要るのです。
少なくても私は、そう思っています。


