2015年2月27日金曜日

「考える前にまず調べる」も大事

明治時代以降、
日本は西洋列強に追いつけとばかりに
必死に知識を吸収することで
先進国になりました。


その名残もあってか、
だいぶ以前から日本人は
何かあるとすぐに答えを探すクセがあると
揶揄されたものです。


今でも日本の教育は知識偏重ですし、
受験は暗記大会。
憶えてなんぼの世界ですから、
「正解を探すクセ」がついても仕方ないでしょう。


ただ、どこかで自分の頭をフルに働かせて
オリジナルの何かを生みださねばならない
タイミングがやってきます。


いつまでもサル真似の
“イエローモンキー”ではいかんわけです。


しかしその一方で
「効率」という重要なポイントを無視できません。
特に勉強とか受験とかになると
他者との競争なので
悠長に最初から自分の頭で考えよう!では、
効率が悪すぎます。


要するに

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

TPOに基づくバランスの問題

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なのです。


例えば先日、
生徒に小論文の質問を受けました。
「何からはじめたら良いのか分かりません」
というものでした。


勉強に関するほとんどの質問は
きっとこれでしょう。


しかし、本来こんなことは立ち止まる理由にはなりません。
聞けば済むからです。


成績不振の子というのは
すぐに「どうやって勉強していいか分からないんですよね~」
って言うんですが、
それは本音ではありません。
純粋に勉強したくないだけです。


なぜそう言い切れるのか。
勉強のやり方に関する本は
ごまんと売られているからです。
本屋に行けば100%見つかります。


要は

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「分からない」なら「調べればいい」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

それだけなのです。


何をどうしていいか分からないから
成績が悪い子がたくさんいるというのは、
一つは教師の怠慢です。


学校行っててそんなこと言わせるってことは
勉強への取り組み方を
教えていないということだからです。


これは
「はい、このテキストやってこーい」
「間違えたら10回やり直しなさーい」
「ノートはこう使いなさーい」
といった低次元の話ではありません。
それは作業方法であって
勉強方法ではありません。


「そもそも勉強とはなんぞや?」
という問題です。


そして、分からない時は聞けば済む、
という当たり前のことを
しっかり教えてあげるべきなんです。


何でもかんでも自分で考えろ、
では上手くいきません。


今回の小論文の質問も、
私自身ガチで対策をしたことはなかったので、
図書館で小論文対策の本を2冊借りて
今読んでいます。


要は書き方と書く内容の深さを把握できれば、
あとは練習あるのみなんです。
難しいことはない。
書き方が分かって、何を書くか。
それだけなんです。


みんな難しく考えすぎていて、
調べる前から「分かりません」で止まる。
それくらい無思考状態になってしまっているのです。


また、ここには重要なことがもう1点あって、
気になった時に勉強するから
吸収率が高く忘れにくくなるという事実です。


この子の場合は
小論文の対策の仕方を知りたいと思いいたりました。
だからこの瞬間に自分で調べれば
身になります。


お前の志望校には小論文があるから
そろそろ勉強しておきなさい!
では、考える気にもならないでしょう。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

気が向いた時に勉強するのが
一番効率的

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なのです。


自分で考えることも大事です。
でもその前に調べること。


時間は有限です。
こういう時には
「あ、今の自分の頭の中には
 この問題を解決する十分な情報がないや」
と“現時点での自分の限界”を把握することも重要です。


しかしそれはポテンシャル(可能性、能力)の限界に
蓋をすることでは決してありません。
今の自分にできることできないことは
絶対に意識しなければなりません。


そしてできないと思ったら
素直に情報を集めにいきましょう。

2015年2月25日水曜日

ハイパーリンク勉強法

勉強とは本来強制されてするものではありません。
逆に、強制されることで効率が著しく下がってしまいます。
できれば興味、関心、好奇心から始めたいものです。


さて、昨日私はこんなものを勉強しました。


・心理学
・瞑想法
・神道と日本神話
・経済
・化学元素と結合
・人体の構成要素
・仏教の「空」の概念


これらは一見すると
繋がりが見えにくいのですが、
実際には【ハイパーリンク勉強法】を使って
どんどん飛び飛びで勉強していった結果、
こうなってしまったという感じです。


ハイパーリンクとは、
ネットサーフィンをされている方は御存知かも知れません、
気になる語を検索し、
その解説の中にまた気になる語を見つけて
それを再度検索し、、、、
という具合に飛んで飛んで
数珠つなぎに調べていく勉強法です。


そうすると、
今私は自己分析と仕事分析をベースに
心理学系を中心とした読書をしているのですが、
瞑想法とかになると
そのベースに仏教の「空」の概念が入ってきたりします。


少し難しい話になってきますが、
ここに脳機能で言う情報場の話や
情報空間と物理空間の関連性が出てくると、
思念と人間の身体機能の因果関係が
話として入ってくるのです。


すると、話の例に放射能による内部被ばくの話が出てきて、
人間のDNAの話になってきました。
そこでDNAの構造内にある
電気的な塩基の連結を壊してしまうとあったので、
人体の構成要素とDNAの構造を調べ始めました。


DNAはチミン、シトシン、グアニン、アデニンという
4つの塩基の繋ぎ合わせですが、
ここに水素結合が出てきました。


また、それら4つも元素でできた物質なので、
じゃあということで元素図鑑を引っ張り出して
眺めていました。


経済に関しては毎日仕事のあとに
少しだけでも読んで帰るようにしているので、
習慣みたいなものです。


このように、生物とか化学とか、
経済とか宗教とか、
そういうくくりで分けられて体系化された授業を
受けさせられるよりも、
自分で気になった部分を
追求していく勉強が最も効率的なのです。


なので、もし勉強というものがイヤだという方がいるなら、
自分の好きなモノを何でもいいので
探究してみるといいかも知れません。


学校の成績なんて受験には関係ないし、
どうせ勉強しないでふらふらできる自由があるなら、
何かしら自分の興味あるもののために
学びを続けておきましょう。


すると気付いたら
意外と学校の内容が滑稽に思えてきますよ。


勉強ってこんな風にやればいいのにって。


2015年2月23日月曜日

成績を気にしすぎではありませんか?

いつも思う事があります。
皆さん学校に引っ張られすぎだと。


勿論成績は良いに越した事はありません。
が、皆さんが思っているほどの価値はありません。
自己満足のレベルです。


「あなたは高校時代どのくらいの成績でしたか?」


こんなことは就職の時には聞かれません。


「大学は東大です!いつも10位以内でした!」
面接官「英語は話せる?」
「いえ、少ししか。」
面接官「コンピュータが得意とか?」
「いえ、そんなことは」
面接官「中国語できたりは。。。?」
「いえ、話せません。」
面接官「そうですか、ありがとうございました」


そんな感じです。
学歴が意味なくなってきているのです。
何ができるか、それが重要です。


でも残念ながら、
今は社会不安からか益々視野が曇り、
学歴や企業規模で進路を選ぼうとします。


成績が悪いと不安になるというのも
その一つでしょう。


私も親になったら、
子どもにはしっかり勉強させようと思います。


しかしそれは学校の成績が云々とか、
学歴が云々とは全く異なる軸の話です。


それこそ今の子どもたちもそうですが、
どんなに目の前の主要五教科を頑張っても、
その知識は受験制度の関門を通る
ポイントを貯めているだけの話です。


同じ現役で大学に合格した人も
片や脇目もふらず勉強し、
片や効率的に勉強して遊び優先だったら、
二人の間にある社会経験は
明らかに後者の方が豊かでしょう。


面接官の立場で考えてみて下さい。
同じポイントならどちらの人材が欲しいか。


そうです。
もうその人の価値を
ポイント制で把握できない世の中なのです。


物理的に時間を割けば
誰でもできる受験暗記も、
その内容は128MBのチップに入るくらいの量ですし、
インストールすればものの数秒です。


脇目もふらず勉強すれば
自分がどれだけずれた努力の仕方をしてるか
そのことにも気付けません。


周りを常に見て、適度に遊び、
勉強は必要最低限で済ませて、
プラスアルファの勉強を自分で見つけてくる。


これからはこんな生徒が
これまで以上に求められてくるでしょう。

2015年2月20日金曜日

義務教育という弊害

日本は中学3年生までが義務教育ですが、
実際には高校進学率が97%以上の現状から見ると、
高校までが義務教育であるような様相です。


が、問題は義務教育があること以上に、
子どもたちに義務を課せるだけの
力のある教育者が現場にいるか
ということです。


義務教育論争の中で結構無視されているのが
義務教育を施している教師サイドの
教育レベル、指導レベルです。


良いんです。
子どもたちに学校教育を課すこと自体は。
そこは本質的な問題ではありません。
どこの国も同じように制度化していますし、
勉強は大事なので。


ただ、現場で教えていらっしゃるのは
教育学部を出られた先生たちです。


小中高大という日本教育のレールの上を
ひた走ってきて、
あまりそれ以外の社会経験のない方々。


また、受験の難易度から言っても、
失礼ながら誰でも行けるレベルです。


私は以前から、
医学部と同じ水準まで引き上げれば良いのに
と考えてきました。


子どもの教育とは国の根幹に関わる一大事業です。
そこに当たられる先生たちが
どれだけ勉学に勤しんで来られたのか分かりません。


実際小中高は受験という大きな関門をクリアして初めて
評価される宿命を帯びています。


なのに、受験を乗り切った経験のある方は
ほとんどいないのではないでしょうか。


受験を乗り切らなくても
何となく勉強して合格したという方は多いです。
受験生の9割以上はそうでしょう。


特に医学部歯学部薬学部、
法学部といった高偏差値学部や、
難関校と言われる大学以外は
さほど受験に対して戦略めいたものは
不必要です。


それでも私が勉強戦略を標榜しているのは
単に自由な時間を増やしてほしいからであって、
仕事をする時にも役に立つ発想だからです。


ダラダラと勉強しても
必要な知識をインプットしてしまえれば
合格するのが大学受験です。


失礼な言い方をしてすみません。
しかし実際そうです。
教育学部は高いハードルじゃない。


学校にどれだけの先生が
受験戦略について明確なアドバイスができるでしょうか。
各教科の指導はできるかも知れませんが、
全体を通した受験指導は
それを経験した者にしか分からない世界です。


勿論雇用に関する問題もあります。
薄給で物理的にも厳しい仕事をさせられているのですから、
質を問われても仕方ないという現状もあるでしょう。


その部分は何も個人的な責任とは言いません。
制度の問題です。


制度の話で面白いものがあるのですが、
私はドイツの教育システムに
大いに参考にできる点があるなと思ったのです。


ドイツは中央集権国家体制を推進する日本とは真逆で
各州が権限を持つ地方分権制を採用しています。


学校制度についての基本的な構造を観てみると、
ドイツでは基礎学校と呼ばれる4年制の期間があります。
そこを卒業する際に初めてのキャリア選択が行われるそうです。


10歳の時点で高等専門教育を行うギムナジウムに進むか、
基幹学校、実科学校という職能訓練校に進むかを
選択させられるそうです。


また、基幹学校や実科学校に進むと
理論と実践というデュアルシステムによって
働きながら手に職を付けられるという制度があり、
こういった制度のおかげで
18歳未満の子どもたちのほとんどが
将来の明確なビジョンを見つけられているそうです。


確かに、誰もかれもが
難しい理論を勉強しなくてもいいわけで、
それが覚えられないからと
抱く必要のない劣等感を背負わされて
落ちこぼれのレッテルを貼られるなんて
はっきり言えば馬鹿げています。


ドイツの教育制度が素晴らしいと言う話ではなく、
日本の教育制度の問題点を解消する上で
参考でできるロールモデルになり得るのではないか、
という視点でお考え下さい。
隣の芝生はいつも青いものですから。


とにかく、義務教育という現状の制度にも
在る程度意識を向けて勉強していった方が良いと思います。
言われるがままに勉強していたら
思わぬ方向に行かされてしまうかも知れません。


自分で「考えて」進路を選択していける
勇気と覚悟ある人材こそが
これから道を拓いていけるのです。


2015年2月14日土曜日

遊ぶことも知らずに勉強ばっかしてもロクな大人になりませんよ!

学習室やっといてそれはない?
いえ、大事な話です。


このGW中はしっかりお休みをいただきました。
時間を気にせずのんびり、
でも充実した4日間を過ごせたと思います。


現実問題、無理をすれば
教室を開けて生徒を招くこともできたでしょう。


しかし、それはやめました。
私が休みたかったからです。
そして、GWくらいは自由に過ごしてほしかったからです。


子どもたち、特に受験生は
勉強!勉強!!勉強!!!の日々です。
きっとGWも頑張って勉強した人もいるでしょう。


頑張ることは確かに褒めてあげたいのですが、
こういう誰もが遊ぶ時にしっかり楽しむことも
勉強には実は重要なんです。


脳はストレスが苦手だ、
という話は何度もしてきたと思いますが、
マンネリというのが嫌いです。


毎日毎日同じリズムになってくると、
脳は勉強に対して反応しにくくなります。
入ってくる情報に対して
「これ重要よね!」的な反応をしなくなるのです。


すると10の努力の結果5の成果くらいになってしまう。
これは勿体ない。


特に、GWという誰もが楽しんでいる時に
自分は頑張っているという状況。


ここに心底
「俺すげぇ!皆遊んでる時に頑張ってる!俺すげぇ!」
と迷いなく頑張れるなら良いのですが、
「別にやることないし、暇だし」みたいなノリなら
ちょっと成果は期待できないですね。


逆に脳は「リラックス」や「楽しむ」ことが
すごく好きです。
そういう時に刺激されるA10神経が
海馬の近くを通っているために、
記憶力を増強せせる効果まで持っています。


つまり、楽しむ時間があればあるほど
記憶力が上がっていくのです。


ということは、GWをガッツリ遊びつくして
「よおし遊んだ!あとは心おきなく勉強しよう!」
というメリハリをつけた勉強の方が、
脳も良い刺激を受けてどんどん吸収してくれるのです。


もっと言えば、
GWにこんなことした!あんなこともした!
という経験が、
話のネタになりコミュニケートを促進します。


コミュニケーションはネタが必要です。
英語教育も英語ばかり教えますが、
共有したいネタがなければ
話すことはできません。


いつか消えてしまう知識の蓄積に
必要以上の時間を割かずに、
もっと有意義な時間の過ごし方をすること。


それがこれからの勉強には
もっと必要なのかも知れませんね。

2015年2月12日木曜日

常識的であるうちは勝てるはずありません

常識とは何でしょうか?
多くの人がそうであると思うこと、
ほとんどの人が了解し得ること、
もしくはもっと別の意味?


でも、常識とは枠にはまることとも言えます。
常識を越えることが起きると
途端にパニックになる。
“非常識”と認識した時点で
不快さが生じて感情が反応する。


しかしそもそも、
それが常識であるかどうかは、
あなた個人にとってしか
有効ではないのではないでしょうか。


例えばあなたは一生懸命勉強しているとします。
でも成績はいつも20位前後としましょう。


勉強はかくあるものだという“常識”を持っているあなたは
何の疑問もなく
「10位に上がりたければもっと頑張らねば」
と思うわけです。


しかし、自分よりも成績の良い子で
部活も遊びもたくさんやっていそうな
「スゴイ奴」がいるとします。


するとあなたにとっては“非常識”な存在ですから、
「あいつは特別だ」
「あいつは頭が良いから」
と処理してしまうかも知れません。


常識とはかくあるものです。
思考停止を促し、
非常識を異質なものだと除外して、
常識に囚われさせるガラスの牢獄です。


しかし、あなたが今手にしている“常識”を疑わない限り、
一生あなたはその牢獄から出られないわけです。
絶対その「スゴイ奴」には勝てません。


なぜか。


彼は彼の“常識”で動いているからです。


あなたがどんなに自分の価値観や
勉強への捉え方を“常識”だと思っていても、
そのせいで彼の常識を”非常識”と考えていては、
二人の立ち位置はずっとそのまま。


そして、彼の常識の方が
より人生を謳歌しながらも勉強で成果を出せている。
彼からすれば、
あなたの常識の方が”非常識”。


常識とか非常識とか、
そういう括りは棄ててしまいませんか?
余計な足かせですし、
持ってても何の得にもならないでしょう。


自分をガラスの牢獄に閉じ込めて、
ちなみにこのガラスはマジックミラーなので
こちら側からは外は見えないのですが、
この広い世界を自分の狭い価値観で
認識してしまう愚を犯すことになるだけです。


あなた一人の個人的な価値観で測れぬほど
この世界は大きいのです。


国を一歩出れば、
いえ、県を、その町を一歩出れば
通じるかどうかも分からない常識を、
判断基準に生きるのはどうなのでしょうか?


あなたがその常識を棄てて、
彼らの常識に並ばない限り、
あなたは頑張って頑張ってやっと20位以内。
でも彼は頑張らないから
気楽に過ごして10位以内なのです。


勉強は一生懸命やるものなんて、
一体だれが決めたのでしょうか。


その方が美しく見えるというだけの話でしょう。


努力する者は報われるべきだという
偏った平和主義が
あなたの目を曇らせているのかも知れません。

2015年2月9日月曜日

100年前にすでに誤りだと分かっていた!?

学歴社会とはそもそも
いつ頃からあったのでしょうか。


最近車内で“聴いていた”本の中で
学歴主義の採用の話があったので
気になってしまいました。


1910年頃、
明治維新から40年程経っていた当時、
明治維新で活躍した薩長の州派閥が
幅をきかせていました。


そこで当時の日本は
そういった派閥の解消のために
優秀な人間をどんどん登用せんと
考えたのが学歴主義だったようです。


それまでは大日本帝国という
アグレッシブな勢いを見せていた日本。
日清戦争にも勝利し、
大国イギリスとも同盟を組み、
ロシアとの戦争においても
世界最強のコサック騎士団および
海軍バルチック艦隊を破っての
大勝利を収めていました。


しかし、第一次世界大戦も
武器の輸出という黒子役でやり過ごした
当時の日本の軍部は
徐々に善からぬ方向へ進んでいたのです。


そう、学歴主義によって
薩長の派閥解消が進んだ代償に、
実践のない机上の空論ばかりを振りかざす
上官ばかりが出世してしまったのです。


その結果は多くが知るところです。
そう、第二次世界大戦の敗戦。


今から100年ほど前に実施された
学歴主義という在り方は
すでに誤りであったという
歴史的解答が示されていたはずなのです。


しかし、ここ数年でようやく
教育現場が学歴主義に
警鐘を鳴らし始めました。


教育改革です。


学歴はあるに越したことはありません。
しかし学歴しかない子どもたちは
何の力もないのと同じです。


ペーパーテストで優秀であることが
一体実社会でどれだけの意味を持つのか。


今ではターゲティング戦略によって
優秀“かつ”実務能力にも長けている人材を
リクルーターに見つけさせる
採用戦略が採られているところもあります。


企業側も色々な制約を受けている一方で、
その網をかいくぐり
より付加価値を生みだせる人材を
早めに囲う作戦を進めているのです。


私たちは今こそ、
日本の教育の在り方の外から
改めて自分の立ち位置を
確認する必要があります。


私はどこにいきたいのか。
日本の教育はそれに対して役に立つのか。


それをこそ考えるべきなのでしょう。

2015年2月8日日曜日

塾、学校、会社がなくなる20年後のために

20年以内に塾、学校、会社という
組織形態にあるシステムは崩壊します。


と言うとドキッとするでしょうか。
でもあり得ない話ではありません。


勿論全ての組織が崩壊する
なんてことはありません。
しかし、これらが徐々に
瓦解していくことは想像に難しくありません。


これだけ技術が進歩してくれば、
もはや物理的に
一か所に集まる必然性は
なくなります。


仮想現実の技術は
今でもFacebookが採用していこうという
流れになるほど現実になってきています。
テレパシーの研究も進められ、
DNAに情報を保存するというものまで
既に数年前から話題になっています。


すると、
どこにいてもその場にいるような経験ができるなら、
そこに行く必要がないのです。


もしかしたら観光や旅行なども
仮想現実で完結するような
新プランが発売されるのも
近いかも知れませんね。


そうなると
マトリックス・プラットフォームが確立され、
そこで“体験”が売り買いされる時代が
来るかも知れません。


以前お話ししたかも知れませんが、
「記憶する」という行為自体も、
パソコンにさせているような
ダウンロードで済んでしまうように
なるのではないでしょうか。


そうやってリアルとバーチャルが
次第に融合されていき、
20年経った頃には
既存のあらゆる価値観は崩壊し、
パラダイム・シフトの過程で
“組織”が存在意義を失うわけです。


今高校生の子も、既卒生の子も、
勿論小中学生の子たちでさえ、
こういった未来に向けて
今をどう生きるかが重要になっています。


勉強しろっていう話ではありません。
勉強とは所詮英数国社理でしょう。
でもそんなものしかできない人は
全く相手にされない時代になります。


これからはプラスαなのです。


パラダイム・シフトは徐々に来るので
よっぽど意識おかないと
気付かぬうちに変わってた!
ということにもなりかねません。


でもそういうゆでガエル現象の中でも、
ちゃんと殺される前にお湯から出るカエルも
少なからず存在するのも事実であり、
彼らが次の価値観を醸成するのです。


今どんな勉強に青春を託すのか、
今まで以上に重要な意味を持っているのかも知れません。

2015年2月5日木曜日

普天間基地移設問題から見る「問題解決の視点」

あんまりこういう賛否両論になる記事は
書かないのですが、
そもそも論の部分で気になっていた
ある点を調べてみると、
やはりそうだったのかってことが分かったので
少しだけ。


今普天間基地の周囲に町があり
多くの人が住んでいます。
世界一危険な基地と
言われているそうですね。


そこで私が感じた疑問は
「基地が先か町が先か」
というものでした。


調べてみると、
やはりというか「基地が先」。
ということは、
普天間基地の周りに
人が集まってきたということになります。


そうすると、
普天間基地移設問題で
声を上げている沖縄の人々の言い分は、
ちょっとおかしいぞ?
ってことになります。


これは東日本大震災で
犠牲になられた方々の多くが
洪水による溺死であったということの原因が、
そもそも、
これより先の土地には住んではいけないと
昔から言われていた土地に
町をつくってしまったことによるものだ、
という問題とよく似ています。


尖閣諸島についても、
かつての日本政府と中国政府間で密約がなされ、
“日中は田中角栄と周恩来、
それに続くトウ小平の時代に
巨額の経済的支援と引き換えに国交正常化を実現し、
尖閣問題については繰り返し
「棚上げ」を密約として確認してきた”(大前研一談)。


その経緯がこじれて
日本が一方的に「棚上げ」事情を
反故にしてきたことで問題化しているそうです。


歴史を無視して
今目の前で起きている事象だけを
断片的に見てしまうと、
問題の解決は永遠にできません。


当事者であれば
感情的になるのも無理はないのですが、
何事も感情的になり始めたら
収集がつかなくなるものです。


私は沖縄問題に関しては
あまり詳しくはないし、
こんなことを論じること自体が
波風を立てることになるのかも知れませんが、
そもそも私には立場も肩書も何もないので、
ちょっとした疑問をつぶやくくらいは
良いかなと思った次第です。


そして、考えるという行為は、
目の前の情報だけではなく、
時系列が非常に重要です。
歴史的な背景を理解せぬまま、
国民感情を全面に出したところで、
お互い熱くなるばかりなのです。


そして、何を解決する気なのか、
ということも重要な視点です。


問題の議論を始めると、
段々とお互いがヒートアップし、
そもそも何を解決しようとしていたか
分からなくなることがあります。


沖縄の普天間基地を移設することで
一体どういう状況にしたいのか。
基地が邪魔なのか
軍人の危険行為をなくして欲しいのか、
もっと他のところに
解消したい問題があるのか。


このように、
問題が大きく複雑になるほど、
その解決には冷静な思考力が
求められますものなのです。