2014年9月30日火曜日

この夏を後悔しないために

夏〜って感じです、今日の熊本。
暑い!
でも夏はこうじゃなくちゃ。


最近”後悔”系のドラマや映画に意識が向いています。
ちょっと旧いんですが
『プロポーズ大作戦』とか『17again』を鑑賞中です。


これらは過去に戻ってやり直したい!
っていうストーリーなんですが、
実際に過去に戻ってその場に立ったら、
やっぱり思うように行動できなかったりするんです。
じゃあ今目の前のことに後悔しないように取り組むなんて、
もっと難しいですよね。


人のためにとか、傷つけたくないからとか、
周囲に迷惑をかけたくないからとか、格好つかないからとか、
きっと大人の言い訳っていくらでもバリエーションがあって、
いくらでも自分を正当化できちゃうんです。
でも結局、やりたきゃやればいいのにって言われたらそこまでで。


あのときああしとけば良かったとか、
あ〜今これ言わなくちゃ!とか思って言えなかったりすると、
ずっと刺さったまま抜けなくなっちゃうんですよね。
ものすごく苦しい。
取り返しもつかないし、
現実には過去に戻ったりはできないから、
ドラマや映画みたいにはなれませんが、
今この瞬間を精一杯生きるしか私たちにはできないんだっていう
当たり前のことに、改めて気付いてみたりします。

まだ起きてもいないことを勝手に妄想で膨らませて、
勝手に不安になったりして、
やりたいことよりもやるべきことを優先して、
今って時間をそうやって自分に嘘を繰り返して
“頑張る”っていうのは、
苦しい選択だなと最近考えたりするんです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
お前は何度同じ失敗をしたら気が済むんだ。
なんでタイミングやきっかけに頼ろうとすんだよ。
この信号が変わったら告白しよう、
この車が通り過ぎたら言おう、
二人きりになったら気持ちを伝えよう。
んな小さなことにこだわってるから、
大きな幸せが掴めないんだ。
by妖精『プロポーズ大作戦』
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


妖精さんのこの言葉は結構今の自分に響いたりして(笑)
あれですね。
この妖精は『夢を叶えるゾウ』のガネーシャと同じ部類ですね。

まぁ、何を言いたかったかと言うと、
生きるってのはマジ楽しい!と思えることのために
自分の今を生きよう!ってことです!
そして熊本は今日はすげぇ良い天気だ!ってことです!(笑)

2014年9月27日土曜日

文系学部の規模縮小は良い傾向

※関連記事
 産経ニュース:国立大学の人文系学部・大学院、規模縮小へ転換、文科省が素案提示
 http://www.sankei.com/life/news/150528/lif1505280016-n1.html


今更な感がありますが、私見を述べさせていただきます。


文系学部を縮小する文部科学省の考えの“真意”はどうあれ、
この結果のもたらす効果を考えると、
私は賛成に回りたい気持ちです。


以前浪人していた予備校で、
文系コーストップを張り、
東大文Ⅰに進んだ友人はこう言っていました。
「文系のトップって言っても全然嬉しくない。
 だって数Ⅲやってないもん」


私は長く教育関連のアルバイトやら仕事をしてきて、
数学が苦手だから文系に進むという決断をする学生を
山ほど見てきました。
そういった経験を踏まえて言えば、
文系学部には機能不全に陥っている学部が多いと考えています。


ハッキリ言えば、
数学な苦手な者たちの受け皿になってしまっていた面も
多分にあるということです。
勿論、十把一絡げにするつもりはありませんが、
そういう事実は間違いなくあると思います。


ちなみに文系に進む者たちのほとんどは「国語力」に欠けています。
なぜか。
数学を棄てるということは、
論理的思考力の育成を断念することになるからです。


「国語力」というのは言葉だけが一人歩きしていますが、
その実態は存在しません。
国語力と明確に定義されるものは存在しないのです。
もしあると仮定するなら、
それは読解力と伝達力と言えるでしょう。
要するにコミュニケーション能力の基盤となる能力です。


読解力とは相手の言わんとしていることを読み取る能力であり、
これは国語の問題で養うことになる「客観力」に根ざしたものですが、
伝達力は回答力を通して磨かれます。
回答力には数学の論理的思考能力が不可欠な要素で、
これがないと抜け、漏れ、ダブりを意識する機会は少なくなります。


また、文系学部が理系学部に比べて
市場発展に寄与しないという文部科学省の見解ですが、
これは一部の優秀な人材を除くと
「そうだ」と言わざるを得ない状況だと思います。


例えば哲学でも、それ単独で身を立てられる者は数えるほどで、
倫理の教科書を見ればお分かりの通り、
社会や科学や数学などの他分野で活かされていることが多いものです。
文学的素養というのは、それ単独で成り立つというよりも、
社会発展に貢献する何かしらの別のカタチを通して
威力を発揮するものなので、
確かに国家の発展を急がれる今の日本からすれば、
理系に資金を集中投資したい気持ちも分かります。


これは文系よりも理系が優秀!ということではなく、
実益を考えた場合に即効性のある方に
より優先的に力を入れたいという思惑です。
L型G型構想に並行して取り組みたい案件ではありますよね。


選択と集中という企業としては当たり前の戦略が、
こと教育関連分野に至ると、
デリケートな分野だけに色々な感情的軋轢を生みます。
しかしこの構想は私もアリかなと思うところです。
皆様はどう思われるでしょうか。


長文失礼致しました。

2014年9月24日水曜日

彼女を追いつめたのは何なのか

飲食チェーンの女性従業員が自殺「原因は上司のセクハラやパワハラ」と遺族が提訴
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150721-00003423-bengocom-soci


今朝の報道番組『特ダネ』で見かけたニュースからです。
重たい話ですみません。
しかし教育を語る上で
かなり重要な問題が内在しているので、
どうかご一読下さい。


この事件に関して個人的にもネットニュースや
Youtubeで動画を確認したところ、
どこも同じ部分を切り取って放送していることが分かりました。
しかし『特ダネ』だけはもう少しだけ情報が公開されていました。
それは父親の記者会見でのセリフです。


「娘は死んじゃった。死んじゃいましたが。」
「勝手に学校も辞めて、仕事まで辞めるのか。
 それじゃまた同じことの繰り返しじゃないかと。」
「親の反対を押し切って学校を辞めて、
 自分で始めた仕事も辞めたら、
 もうツーアウトなんですよ。もう後がないんです。」


この言葉を聞いたとき、私はゾッとしました。
そして、この事件に関するほとんど全ての報道
(ネットで確認した限りのあらゆるソース)が偏向報道であり、
歪曲された内容が伝えられていると感じました。


まず最も重要なのは、何が彼女を死に追いやったかです。
その原因が本当にサイゼリアなのかどうかという話です。


そもそも親にも友達にも相談を持ちかけていて、
どうして死ぬところまで追いつめられたのか。
明らかに不自然です。
それに心中を持ちかけられて自殺するに至る間が、
どうしても理解できません。


このことを考えると、
直接的な問題はサイゼリアの副店長にあったにせよ、
この問題を回避する手段は自殺以外にも当然あったはずなのです。
そして実際彼女は親にも友達にも相談を持ちかけている。
それでもなお周囲が彼女の逃げ場所になれていなかったことが、
今回の事件で最も留意すべき点だと私が感じています。


ここで先日の福島の女子行方不明の事件同様、
親の言葉の言い回しがものすごく引っかかりました。


また同じことの繰り返し、ツーアウト、もう後がない


親がこういう言葉を使うということは、
親がそういう認識を娘に強要していたことが伺えます。
もう次は失敗できんぞ、と。
実は親のこの認識は子どもを追い込む一番の原因になるのです。


日本は失敗に厳しい国です。
性格的に失敗を恥ずかしいことだと思い、
失敗は悪だと教えられて育ちます。
それは学校教育でもそうですし、
学校教育を受けて育った親が家庭の中でもそう教えます。


イヤになったらすぐに辞めなさい、とは言いません。
簡単に辞めるな、簡単に投げ出すなと教えます。


点数が低いと頭が悪いと言われ、
偏差値が低いと受験することも止められ、
間違ったことを言ったりしたりすれば周囲から笑われ、馬鹿にされます。
こんな環境で育つと「失敗したらヤバいことになる」と
学習することになります。


ニュースでもそうです。
政治家はちょっとした言い回しのせいで
すぐに責任を問われ辞職に追い込まれるし、
面白くない芸人は失笑を買い辱められます。
国を背負い勇気ある決断を続ける安倍首相もどんどん支持率を落とし、
大阪を良くしようと命をかけて戦い続けた橋下さんにNOを突きつけ、
時代の申し子ともてはやされたホリエモンを
よく分からない理由で投獄しました。
それが日本です。


そんな時代では、親が子どもの
セーフティー・エリアになってあげなければなりません。
しかし大抵の親は躾と押しつけを混同し、
自分の価値観を子どもに強要して、
自分の望むような成功をおさめてほしいと求めます。
教育は学校に丸投げし、勉強は塾に丸投げして、
塾のブランドやテストの結果や偏差値指導や先生の言葉で、
子どもの人生の重要な決断をしてしまおうとします。


リスクとデンジャーの違いも教えず、
危ない場所からはすぐに逃げろという
当たり前のことすら教えず、
いじめに気付きませんでした、
アンケートではそういうことは書いてありませんと言う。


そもそも今回の件で、
サイゼリアがパワハラ、セクハラの研修を
やっていなかったことが問題視されてたりもしますが、
そんなのしなくても分かるだろと。
それに学校がいじめに気付けないくらいなのだから、
店長までグルになってたパワハラ問題に上が気付くはずない。


一番の問題は、気付いた人間が止められなかったことの方なのです。
なぜ「逃げろ」と言わなかったのでしょうか。
なぜ無理矢理にでも逃がしてあげなかったのでしょうか。


もちろん自衛が基本です。
自分で危険を察知し逃げられることが一番です。
しかし、気付いた人が、親が、
どうして止められなかったのかが一番不可解です。
それは親が「次に失敗したらおしまいだ」という
認識を持っていたからです。


こういう親を持つと、子どもは親に頼れなくなります。
自分の話を聞いてもらえないことが分かるからです。
20代と言えば大人に分類される年代です。
もう誰かに頼ってはいけないのだと
無理矢理追い込んでいったのかも知れません。


サイゼリアに1億円吹っかける前に、
この問題の本質的な問題をもっと取り上げなくてはなりませんが、
ニュースでこんなデリケートな領域には
入り込めないからこその偏向報道でしょう。
そして自分のところのアルバイトさんが
自分のところの店舗の店長、副店長の行為がきっかけで
亡くなっているにも関わらず、
訴状が届いておりませんと平気で言えてしまう日本社会です。
これが問題なのです。


英語?プログラミング?
違う。
学校で教えるべきこと、
親が教えるべきことはもっと他にある。
私は切にそう思っています。


長文失礼致しました。


2014年9月23日火曜日

平和とは一体何なんでしょうか

MARVEL映画『マイティー・ソー』で、
主神オーディンが息子たちにこう言う場面があります。
「賢い王とは好んで戦ったりはしない。しかし、戦う覚悟だけはしておけ。」


ふむふむ。


週刊少年ジャンプ連載中の漫画『ONE PIECE』では、
ネフェルタリ家に使える重臣ペルがビビ王女にこんなことを言っています。
ビビ「なぜ毎日戦いの訓練をするの?」
ペル「護衛兵ですから
   ……この国を お守りする為です
   強くならなければ」
ビビ「誰と戦うの?」
ペル「さァ 戦うことより… 守るのです」
ビビ「違うの?」
ペル「…目的の違いです」


ふむふむ。


人気漫画『ドラえもん』の劇場版『雲の王国』では、
高い文明を持つ天上人と対話をするために、
ドラえもんは彼らの住む雲を溶かしてしまえる武器を持っている事を
表明することを考えます。
「勿論ほんとに使うつもりはないよ。
 でも天上人と対等に話すにはそれしかない。」


最近「戦争法案」なんて過激な煽りを受けて
安全保障関連法案が問題視されています。
先日の「強行採決」報道の辺りから
どうも騒々しくなってきています。


そんな中で私は「平和とは何だろう」と考えてしまいます。


私は戦争世代でありませんから、
映画や話を聴いたレベルでしか感じることはできません。
でも、戦争はもちろんしたくない。
てか、誰も戦争したいなんて思ってない。


でも、「戦争法案」とか言われて、
「強行採決した」とか聴くと、
短絡的に「安倍首相は戦争に向かってる」と早合点してしまう。
直情的に「反対運動だ!」となる。
脱原発の騒ぎのときの様子が蘇ります。


例えばキリスト教にも1000年王国という発想があります。
平和な1000年が終わると世界が終わるという
終末思想のことです。
今日勉強した北欧神話でも、
神々は最終戦争ラグナロクに向けて着々と準備を進めています。


宗教や神話の世界ですら、破滅や戦争が前提になっている。
破壊があって再生があるのだと。


現在でもISISがイスラム教という背景をもって
平気で大規模な殺害行為や歴史冒涜行為を繰り返しています。


人を救うためにあるはずの宗教が、人を殺す理由になってしまう。


同じ「平和」を口にする人たちが、
自分とは違う考えの人たちをけなし、
相手の意見を聞き入れることなく批判している様子は、
正直「平和」からはほど遠いと感じます。


「民主主義」に対する冒涜行為だ!
とのフレーズも耳にしますが、
そもそも民主主義がそんなに機能していた国でしたっけ日本て。
自分の話を聴けっていうことだけですよね、たぶん。


人を好きになるという、至極個人的なことでさえ、
すれ違いが起これば必ず傷つく人が出てきてしまう。
でも、別に誰かが悪いわけではない。
ただ、誰かが誰かを好きになっただけ。


世の中はもっと複雑だし、
そういうすれ違いはたくさん起こるのであって、
それこそ言語や文化が違い、
これまでの歴史的な認識においてすら食い違うようなことが起これば、
お互い喧嘩になるのも仕方がない。


18世紀なんかヨーロッパではバカスカ戦争やってたし、
世界史では王様とか財務長官とか宰相の名前くらいしか出てこないけど、
ちゃんと家族もいて夢もあった血の通った人間が何万人も死んでいたはず。
そんなリアルも教えずに、
年号とか戦争名とかばっかり覚えさせるような教育やってるくせに、
いっぱしに民主主義語って「戦争法案反対!」とか言える人の気が知れない。


人はすれ違うし、食い違うし、喧嘩する。
それは友達だってそうだし、夫婦だって親子だってそう。
他人ならなおさらだ。
民主主義以前の問題じゃないのかな。


平和って何ですか?
何をどうやって守ろうとしているんですか?
それをハッキリさせないまんまで、
賛成も反対もないでしょうにと思ってしまいます。


2014年9月22日月曜日

いじめの解決方法

https://youtu.be/y8cH-3QDzr4


ある方がFBで共有されていたので拝見し、
私もこの考え方に近い価値観だったので共有します。


先日長谷川さんのいじめに関するブログを
非難している方とFBでやり取りをしました。
こちらが話題に挙ったブログです。
http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/44904588.html


長谷川さんの主張としては
「いじめという現象は、
 いじめる側が悪いと断言できる場合も多いが、
 いじめられる側にも何かしらの問題があるケースも中にはある。
 だから、何でもかんでも『いじめ』と言わずに、
 状況をしっかり把握し、適切な認識を持ちましょう」
というものでした。


「いじめ」において、
「いじめられている側にも何かしらの問題がある」という発言は、
かなり反発を生むものです。
当然のように、
長谷川さんのブログ非難をしていた方の投稿には、
長谷川さんのその主張を心なく否定する方々のコメントが並びました。


「いじめ」というのはかなりデリケートな問題ですので、
勿論色んな方に配慮が必要な話題であることは分かりますが、
本当に真剣に「いじめをなくそう」と考えているのなら、
「いじめられている側には何も落ち度はなかったのか」という点にも
メスを入れなければならないのです。
客観的にならねば、
冷静に物事を考察せねば見えない盲点というのは確実にあるのです。


しかし、中にはいじめと聞いただけで、
いじめで少年少女が自殺したと聞いただけで、
思考が停止して直情的に「いじめた奴が悪」という議論になってしまう。
そして、長谷川さんのような勇気ある発言者を
「逆張り」とか「炎上狙い」とか平気で罵れてしまうわけです。


今回は、そんな「いじめ解決法」について、
今はテレビから一線を引いている紳助さんが、
見事な解決方法を提案されています。


「いじめられたことにも原因があるはずや」という側面と、
学校や教育現場ではなく親がまず全面的に解決に乗り出し、
「ここまでやって解決せんなら引っ越せばいいやん」と
子どもの味方であることを示すその姿勢に、
全く同じ思いを抱いた次第です。


私は本当に「いじめ」なんてなくなれば良いと思います。
これは今の安全保障関連法案にも繋がるところがあります。
戦争なんて絶対にしたくない。
あってはならない。


しかし現実的に、
いじめを世の中からなくす、
戦争をこの世界からなくすということに取り組むのなら、
見たくない部分も見なくてはいけないし、
言いにくいことも言わなくてはならないんです。


「いじめはダメだ」「戦争はイヤだ」と言うのは簡単です。
でもそんなことを100回200回言い続けても、
なくなるわけがない。
なくすためには考え、行動することです。
考えるということは、
いじめに関するあらゆる要素を客観的に観察しなければならないし、
特に親が真っ先に気付き対処を考え、
実際に行動しなければなりません。
学校がどうこうするなんて期待してはダメです。
戦争をなくすのだってそれに関する
心理学、歴史学、政治学、宗教学などの
あらゆる側面から研究し紐解いていかなくてはなりません。
何千年も続いてきたものをなくすには、
それ相応の努力がいると思うんです。


こうした怒りや憎しみから起きる喧嘩騒動が、
どうにか根底から立ち消えるような妙案はないものかという思いに、
この動画はとても参考になると思います。
是非ご覧いただけたらと思います。

2014年9月20日土曜日

暑い熱いデモイベント

高校生達が渋谷で安保法制反対デモ!
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-7436.html



今度は高校生メインのデモががが。
プラカード見て一瞬海外の話かと思ったんですが、
日本の高校生か〜頑張ってますね。


でもこうやって、どんな形であれ政治に関心を持ち
(政治ではなく自分のことしか考えてないのかな、もしかして)、
実際に行動をして社会経験を積むというのも悪くないかも知れません。
英語の勉強にもなってるようだし、いい面もあるのかな。


ただ、もし自分の子どもがこういうデモに参加したいと言ったら、
とりあえず質問攻めに耐えられるかを確かめます。
ちゃんと知識を持ち、論理的な意見を持って、
それでも反対なら好きに活動すればいいと思います。
もし質問に答えられないようなら、
やっぱり「バカたれ!」って言うでしょうね(汗)


相手に文句言うのに、
相手を何も理解していないというのは明らかにアンフェアだし、
努力不足。
失礼な行為です。
ただの鬱憤ばらしにしかなりません。
そんなことする前に勉強せんかいと言うと思います。


択捉島にロシアが滑走路を建設し、
軍事パレードで中国と肩を並べて日本を名指しで批判し、
新兵器アルマータをお披露目しても、
中国が軍事費を増やし続け、
北朝鮮や韓国が核ミサイルを日本に向けても、
まだ状況が掴めない。
首相が懸命に「戦争を起こさないための法案だ」と言っても聞く耳持たず、
「戦争反対」「徴兵制反対」と意味分からないことを言い続ける。
よっぽどこの人たちは戦争したいのかなって思ってしまう。


そもそもメディアも、
「戦争法案」「徴兵制反対」と煽り、
しまいには韓国の声を取り入れて「徴兵制になる」という見方を吹き込み、
それを鵜呑みにした人たちが残念にも
「戦争反対!」「徴兵制に反対!」とかやってしまう。
メディアコントロールすごいな。


アメリカも2016年度の軍事費予算案を、
日本の安全保障関連法案の法制化を前提に
組んでいるということを受けて、
山本議員も「アメリカのATMをいつまで続けるんだ」と反論し、
経団連との癒着を指摘、反対派として頑張っています。
今回は前回の原発問題の時よりも
だいぶ勉強もされて頑張ってるなと感じます。
国会答弁や日曜討論など露出された際の意見の言い方が
正直ウザいけど、
彼の主張には耳を傾けたくなる。
確かに原発を攻撃された際の被害値計算など、
そういった点のフォローが足りないのは国の在り方もいただけない。


高校生も「自分で考え行動しようと思った」とコメントし
参加するのは良いけど、
参加するかどうかを考える前に、
もっと考えるべきことは別にあったんだろうなと私は思ってしまいます。
他の投稿で、デモへの参加経験は就職に響くのか!?的な
議論がありましたが、
それは相手の立場に立てば分かるだろうと。
面接官や企業サイドが月20万払って雇おうとしている、
一度雇った正社員はすぐには解雇できない、
色々なリスクを回避しつつも優秀な人材を掘り出したいと思うなら、
デモに参加することがどれくらいリスクかは自分で計算するといい。
デモを武器にできるかどうかは学力次第。


ただ、こういった小規模デモでも、国民の大事な声。
予想された反論デモであろうが、
メディアでもSNSでも拡散されているので、
きっと届くと思います。
このクソ暑い中でさぞキツかったことでしょう。
それでも立ち上がった青少年たちのエネルギーが、
良い方向に国を動かしてくれることを願います。